• ルカについて
*ルカは医師や画家の保護者と言われます。
*ルカはシリアのアンティオキアで、ギリシア人の上流家庭に生まれ、文学、科学の知識があり、医者として身を立てていた。
*バルナバとパウロの導きで洗礼を受け、世話づきな人だった。パウロはペトロ、バルナバ、マルコなどと衝突してが、ルカとは最後までウマがあった。男女や貧富の差とは関係なく、誰とでも付き合っていて、順応性に富んだ人だった。
*パウロの第二回宣教旅行で、ルカはパウロに従い、フィリピなどで宣教を助けた。パウロがエルサレムへ出発してからも、ルカはフィリピにとどまり、信者の育成に貢献したと言われる。やがてパウロがローマへ護送された時も、近辺に家を求め、パウロに近づいて教えを受けたり、慰めを得たという。
*パウロがローマで殉教したあと、ルカはギリシアに赴き、アテネはコリントで宣教し、テサロニケはフィリピを経て、さらに海を渡って小アジアに入り、現在のトルコで宣教し、独身のまま88歳で亡くなったと言われる。彼の遺体は、イタリアのパドヴァにある聖ジェスティーナ教会に埋葬されているという。
2)ルカ福音書について
*ルカは、初代教会の伝承では、パウロの宣教旅行の同行者であり、使徒言行録の著者であり、第三福音書(ルカ福音書)の著者であることで一致している。
*ヒエロニムス(340/350年~420年)は、シリアのアンティオキア出身で、使徒パウロの弟子である医者ルカが、第三福音書の著者であると述べている。
*ルカの名前は新約聖書にも登場し(コロ4・14、二テモ4・11、フィレ24)、これらの箇所で言及されるルカが、パウロの親族である「ルキオ」(ロマ16・21)で間違いでなければ、彼はパウロの宣教に関わった人物ということになる。このルカが二つの書の著者であるとする伝承の真偽を確かめる手立てはない。
*第三福音書は、70年から80年の間に成立したとされる。著作の場所は定かでない。アンティオキア、ローマ、カイザリア、エジプトのアレクサンドリアという説があるが、確定はしていない。
*特徴として、歴史的に詳細で、救いの普遍性、貧しさなどがある。
ルカ1・5のように、「ユダヤの王ヘロデの時代」、2・1のように「皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令」「キリニウスがシリアの総督」というように、年代を推測することができる。
また祈り、憐れみ、回心、女性などのテーマがある。特に女性が大きな比重を占め、冒頭の1~2章では、マリアとエリサベトに中心的な役割が与えられているが、同じ姿勢が福音書全体に一貫している。こうした女性への視点は、ルカの強調する普遍的救いが民族だけでなく、男女の性差をも克服するものである。
*マリアへのお告げ、エリサベト訪問、マニフィカト、イエスの誕生、羊飼いの訪問、イエスの奉献、イエスの試み、パンを増やす奇跡、イエスの変容、よいサマリア人、放蕩息子、ザアカイの回心、エルサレム入城、最後の晩餐、オリーブ山での祈り、ペトロの否認、二人の盗賊、イエスの死、復活、エマオの旅人など。すべて絵にしやすい場面が多い。