アルベリオーネ神父は、司祭叙階後も神学生時代の続きとして、図書係、香部屋係、司教盛儀の式典長をつとめるかたわら、神学の学位をとるために、神学の勉強を続け論文を書き、ジェノヴァの教皇庁立神学院に論文を提出した。その指導教授がフランシスコ・キエザ神父で、キエザ神父は、アルベリオーネ神父の聴罪司祭でもあり、霊的指導者でもあり、そのすぐれた学問と徳と立派な生活でアルベリオーネ神父に大きな影響を及ぼした。こうしてアルベリオーネ神父は、なみなみならぬ努力で論文と口頭試験にパスし、一九〇八年四月九日、ジェノヴァの神学院で神学博士の学位を受けた。
その時、キエザ神父は、アルベリオーネ神父に、こうさとしている。「学位を得たのみで、学問をきわめたいということはできはない。だが、学位というものは、きみが聖職に携わることができるということの荘厳な宣言であり、承認なのだ。学位を取れば、『私は知識の面ではキリスト教を教えるにふさわしくなるように努めた。今は、私に欠けているすべてに関して――しかも、その欠けていることの方が多いのだが――は、福音をのべるものには主が言葉を教えてくださるという約束に期待を寄せることができる』と考えながらきみは司祭職にいっそうの信頼を持って入ってゆくことができるだろう。」
アルベリオーネ神父は、司祭職を全うするには、たえず勉強しなければならない。と確信していた。もし司祭が、自分の職務を完全に果たすために必要な知識を獲得しようと努力しなければ決して聖性には達しえないだろう。アルベリオーネ神父は、学位を取ってからも勉強を続けたが、神学生や司祭たちや信者たちから、『シニョール・テオロゴ――神学の先生』と呼ばれ、尊敬され、有名になった。
アルベリオーネ神父は、その博学を生かして公立の高等学校で宗教を教え、カトリック要理研究大会に出席していた。またアルバの司教からカトリック要理教育委員会のメンバーに使命され、要理教育法を特別に研究し、他の二人の委員とともに教区内で使用する学年別テキストを作り、要理教育プランを案出していた。アルベリオーネ神父は、常に要理教育関係の仕事を第一の、最も大切な仕事と考えていた。
「行って、宣教し、教えなさい」という福音の勧めに従って、今までパウロ家のあるところはどこでも、要理教育を盛んに行っている。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。