東京・四谷の交差点は、午前8時から9時頃になると、とても混雑します。会社に勤める人、上智大学に通う学生、学習院小学校や雙葉学園に通う生徒たちなど、たくさんの方々が押し寄せます。その交差点で信号が変わる頃になると、「信号が変わります」との音声が入り、「ピピッ、ピピッ」という音も加わってきます。さらには交差点の所には黄色い線が引かれています。これらはすべて、目の不自由な方々のためへの配慮であることが分かります。以前、こうしたものはなかったけれど、最近ではよく目にするようになりました。さらに車もたくさん通りますが、クラクションを鳴らす人もほとんどいません。それだけ、目の不自由な方々に対して人が優しくなったのでしょう。
今日のみことばで、バルティマイという目の見えない物乞いが道端に座っている状況から始まります。目が見えないこと、物乞いの生活で毎日が厳しい状況であることが分かります。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(マルコ10・47)と叫びます。多くの人々の心に響いていくような、とても通る声だったのでしょう。とにかく必死になって叫びます。一回だけでなく、二回も……。人が制するのも押し切ってまで叫び続けます。目は見えなくても、心の目が開いていたのでしょう。イエスに気づき、イエスに出会うとマントを脱ぎ捨てます(マルコ10・50)。マントは彼にとってとても高価なものであり、夜の寒さをどのようにしのぐのだろうとも思いますが、イエスとの出会いによって、彼の人生は大きく変えられていきます。「イエスに会いたい」というのが彼にとっての大きな希望だったことが分かります。
私たちもみことば、ミサ、聖体などでイエスに出会うことができます。日々の生活の中で、イエスとの出会いを体感したいものです。