初代教会における司祭は、その大半が結婚していました。古い伝統を持つコプト教会やアルメニア教会、シリア教会などの司祭が結婚しているのは、初代教会の流れを受け継ぐものです。この状況は東方教会においても、西方教会においても変わりませんでしたが、司祭の妻帯に反対する声が少しずつ盛り上がってきました。
西暦325年のニカイア公会議において、「結婚しているすべての司祭は、妻と別居しなければならない」という議案が提出され、否決されました。これは当時の教会においては、妻帯した司祭が多数いたこと、同時に、司祭の妻帯は好ましくないとの考えが、かなり強まっていたことを示唆しています。
その後、東西の教会は、少しずつ独自の道を歩むことになります。東方教会では司祭の妻帯がますます定着し、692年の教会会議において、公式に司祭の結婚権が承認されました。つまり「結婚している者が司祭に叙階されることを認める。ただ、司教になる者は独身でなければならない」という内容でした。現在に至るまで、この規則は東方教会において守られています。
いっぽう、西方教会では司祭の独身性を求める声が日増しに強くなりました。既婚者が司祭になる場合は、禁欲の誓約を夫婦ともども提出したり、別居をするなどが勧められました。また既婚の司祭にも同様の勧めがなされました。こうした動きの背景には、アウグスチヌスのような卓越した、妻帯していない司教の登場や、真のキリスト教的生き方は独身にあるという理解の流布などが考えられます。
それでも妻帯している司祭や司教は多く、9世紀後半のハドリアヌス二世教皇も結婚していたことが確認されています。
その後、西方教会では司祭の独身を求める声はますます強くなり、1139年の第二ラテラノ公会議において、司祭の結婚は無効であると宣言されるに至りました。現在に至るまで、この規則は西方教会において生きています。
なおカトリック教会の主流はローマ・カトリック教会ですが、そこにはシリア・カトリック教会のような、東方カトリック教会も含まれています。そうした東方カトリック教会では、その伝統に従って、今日でも司祭の結婚権が認められています。
回答者=鈴木信一神父