10月19日に任意の記念日として祝われる十字架の聖パウロは、日本でも活躍している御受難修道会の創立者です。典礼暦には、記念日の中に「義務の記念日」と「任意の記念日」とがあります。「義務の記念日」が全世界の教会で必ず祝うよう定められているのに対し、「任意の記念日」はその教会や団体の事情に応じて祝うことができます。言うまでもないことですが、このような相違はそれぞれの聖人の聖性の差によるものではなく、全世界の教会における神学的・司牧的重要性や有用性の判断によるものです。このため、全教会の典礼暦では、任意の記念日とされている聖人でも、その聖人が特別な信心の対象になっていたり、キリスト者の霊的生活において特別な意味合いを持っているような場所や団体では、義務の記念日や祝祭日として祝われることもあります。
さて、後に十字架のパウロという修道名を名のることになるパウロ・ダネイは、1694年に北イタリアのオヴァダという町で生まれました。母親はパウロを含めて15人の子どもを生みましたが、そのうちの9人が幼少の頃に亡くなりました。この出来事は、生と死の神秘を幼い頃からパウロの心に深く刻みつけたのかもしれません。また、十字架像を用いてなされた母親の教育も、パウロに大きな影響を与えたようです。
20歳を越えた頃から、パウロはイエスの受難を深く記憶し、記念し続ける修道会を創立するようにという神の呼びかけを感じ始めます。パウロには、イエスの受難、イエスの十字架が、神の愛の最も大いなるすばらしいわざと感じられたのです。パウロは、25歳の頃に、この呼びかけを司教の判断にゆだねます。司教は長い間にわたる識別の末、この呼びかけが神からのものであることを認め、神の計画をより深く悟るため、修道会の会則を記すようパウロに命じました。
最終的にこの会則は1741年に教皇庁の認可を受けます。こうして、パウロは志を同じくする者たちとともに修道誓願を宣立し、修道会の使命を映し出す新たな名前、「十字架のパウロ」を名のるようになります。神の愛の最も大きな現われであるイエスの受難を深く観想し、その愛と痛みに深く一致するとともに、この受難の神秘を告げ知らせ、霊的指導を行なうことなどにより、すべての人がイエスの思いを自分の思いとするように助けること。十字架のパウロは、この務めを、自らが創立した御受難修道会とともに生涯果たし続け、1775年10月18日にローマで亡くなりました。
さて、十字架の聖パウロの記念を行なう場合は、固有の福音朗読としてマタイ16・24‐27が定められています。イエスの弟子となるために、自分を捨て、自分の十字架を背負ってイエスに従うことの必要性が述べられている箇所です。
マタイ16・13以降は、イエスと弟子たちがフィリポ・カイサリア地方に行ったときの一連の出来事とこれに伴う教えが述べられています。まず、イエスが弟子たちに、人々はイエスのことを何者と言っているのか問いかけます。弟子たちは、いくつかの人々の言葉を引き合いに出して答えます。すると、次にイエスは、弟子たち自身がイエスのことをどう考えているのか問います。ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます(16節)。この答えを受けて、イエスはペトロの上に教会を建てること、ペトロに権能を授けることを宣言します。そして、イエスは「このときから」(21節)エルサレムでの受難、死、復活について弟子たちに「打ち明け始め」(同節)ます。ところが、この言葉に驚いたペトロはイエスをいさめます。すると、イエスはペトロを強い言葉で戒めます。その後に続くのが、今回取り上げた箇所で、イエスの弟子とはどのような者でなければならないかが述べられるのです。
場面転換がなく、イエスと弟子たちのやりとりが続く中で、しかしその内容は大きく変化しています。ペトロの信仰告白に対して、イエスは「あなたは幸いだ」とまで言います(17節)。そして、ペトロの上にイエスの教会が建てられ、ペトロに権能が与えられることが宣言されます。ペトロはさぞや有頂天になっていたことでしょう。ところが、そのすぐ後に、この同じペトロがイエスから「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者」と言われるのです(23 節)。いったい何が問題で、これほどの変化が起きてしまったのでしょうか。
読み解くための一つの鍵は、17節と23節の対照的な表現にあるのではないかと思います。17節では、ペトロの信仰告白の後、イエスが「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言っています。一方、23節では「(あなたは)神のことを思わず、人間のことを思っている」と言っています。どちらも、神の思いと人間の思いが対比され、どちらに従っているかによって、イエスの評価が大きく変わっているのです。
問題は、弟子として、神の声に聞き従うか、人間の思いに従って、その価値観で判断を下すのかということです。ペトロがイエスに対してこれほどの信仰を告白できたのは、イエスとともに歩みながら、そこに神のはたらきを感じ取ったからです。ペトロは神の思いを理解し始めている。そう考えたからこそ、イエスはご自分の身に起こる神の計画について、人間の価値観では理解できない神の計画について語り始めたのでしょう。それが受難、死、復活の予告でした。「必ず……することになっている」(21節)という表現は、神の計画の必然性と言いましょうか、神の望みは必ず実現しないではいないことを表しています。ですから、イエスの受難、死、復活は神の計画、神の望みの現われなのです。しかし、ペトロは「そんなことがあってはなりません」と言って、否定します(22 節)。ペトロは、イエスが述べることを神の計画として受け入れることができないのです。そこで、イエスはペトロが神に従わず、人間の価値観に従っていることを指摘し、厳しく叱責するのです。
このようなことを踏まえた上で語られる24‐27節の教えは、神の計画を受け入れてイエスに従うのか、人間の価値観に従って自分の命を守ろうとするがためにそれを失ってしまうのかという二者択一を迫っています。ペトロや弟子たちにとっては、非常に厳しい教えです。受難、死ですら受け入れないのですから、十字架という言葉はなおのこと受け入れられなかったことが容易に想像できます。ただ殺されるだけでも大変なのに、人間とは認められないような極悪人にだけしか許されていなかった最も非人間的な処刑法である十字架を背負うというのですから。
当然のことながら、イエスの受難と十字架上の死を神の愛の計画の現われとして、また救いの道として受け止めることができなければ、自分を捨て、自分の十字架を担うことはできません。しかし、イエスをとおして神の救いの計画がこのような形で現われ、イエスがこれを忠実に実現したとすれば、わたしたちの救いもこの十字架の道をとおして以外にはありえないのです。確かに、イエスは「父の栄光に輝いて天使たちとともに来」ます(27節)。しかし、この栄光のイエスは受難と死を通って、その消えることのない傷跡をもつ方なのです。だから、「そのとき、それぞれの行いに応じて報いてくださる」(同節)という言葉の「それぞれの行い」とは、イエスにならって「自分を捨て、自分の十字架を背負う」というわざを意味しているのです。
十字架は、人間的な価値観では、受け入れられないものです。しかし、イエスの十字架に、目には見えない神の計画とその深い愛を見つめることができれば、この十字架こそがわたしたちの救いの最も確かな道となります。わたしたちが十字架の神秘を深く悟り、自ら十字架を担って日々の生活を生きていくことができるよう、十字架の聖パウロの取り次ぎを願いたいと思います。