北アルプスに登ると種々の高山植物に出会います。ニッコウキスゲ、ワタスゲ、ハクサンフーロ、イワギキョウなど。その中でも特に好きな高山植物はコマクサです。砂地の上に逞しく育っているのを見ると、とても感動的です。学生の頃に山に登り始めた時、「コマクサ」が美しいことを友人から聞いていましたが、実際に初めて見た時の感動は忘れられません。その後、何回となく淡いピンク色のコマクサを見てきましたが、一番印象に残っているのは北アルプスの燕(つばくろ)岳。小屋に着き、しばらくして燕岳の頂上を目指していく途中、砂地にコマクサの群生が広がってきました。厳しい冬を過ごし、逞しく育った淡い色合が今でも脳裏に残っています。まさに「見て、信じた」心境でした。
主の復活の朝、シモン・ペトロともう一人の弟子が墓を訪れ、イエスの遺体がないことに気づきます。彼らは「見て、信じます」(20・8)。しかし、イエスが死者の中から復活されることについては、まだ理解していませんでした。「見て、信じた」ものの、復活について理解するには時間がかかったのでしょう。彼らがよく理解できるようになるのは、「週の初めの日の夕方」(ヨハ20・19)でした。イエスが弟子たちの傍にいて、何度となく復活のことについて話したにもかかわらず、弟子たちは十分に理解していませんでした。
よく理解できなかった典型はトマスです。「あの人の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハ20・25)と言い張ります。8日目になり、再びイエスが現れ、トマスも信じるようになり、「わたしの主、わたしの神よ」と告白し、イエスは「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(ヨハ20・29)と語ります。弟子たちが体験した一つひとつの出来事や理解するまでの歩みは、私たちの信仰をより強いものにしてくれます。