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みことばの響き

祈りに導かれた道 四旬節第2主日(ルカ9・28b~36)

 ルカの福音書には、祈りに関する記事がよく出てきます。今日の主の変容の箇所にも「祈るために山に登られた」というように、静かに祈るイエスの情景が描かれています。この箇所は、イエスが受難を前にしてオリーブ山で祈る箇所(ルカ22・39~46)とつながっています。このことから、変容するイエスは、やがてご自身が死と復活へと旅立っていく姿を示唆するものです。

 二人の人がイエスと語り合っています。「二人の人」という表現は、証言を確固としたものにするため、ルカ福音書でよく用いられます。例えば「主はほかに72人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」(ルカ10・1)、「途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた」(ルカ24・4)、「二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した」(ルカ24・35)、「白い服を着た二人の人がそばに立って」(使徒1・10)などを挙げることができ、それらは証言の確実性や変容、復活、昇天が同じ位置にあることを示してくれます。今日の福音に登場する二人とはモーセとエリア。モーセは神の礼拝を確立し(出3・12、5・1~3)、エリアは礼拝の刷新に尽力した人(王上18・16~40)です。この二人とイエスとの対話は、新たな礼拝を確証してくれるのではないでしょうか。

 その後イエスは、ご自身が「遂げようとしておられる最期について話していた」(9・31)と言います。「最期」とはギリシア語で「エクソードゥス」が使われています。これは、モーセのことが記されている「出エジプト記(エクソードゥス)」とともに、「エクス(~から)」と「ホドス(道)」の合成語からして、「道」の意味が含まれています。福音記者はこの「ホドス(道)」の中に、イエスの生涯を「最期」「道」として表現したのではないでしょうか。

 また変容にあたり、雲が現れて彼らを覆います。「雲」はシナイ山や幕屋を覆った雲と同様に、神の出現を象徴(出24・15~18、33・9~10参照)し、やがて訪れるイエスの受難に、神が支えてくれることを示してくれます。こうして雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と聞こえてきます。自分から選んだのではなく、「選ばれた者」が強調されています。

 静かな祈りの中で、イエスの道、私たちの道を見つめてみましょう。

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