序)回心と悔い改めへのイエスの呼びかけは、外的な行い、すなわち「粗末な服装をしたり、灰をかぶったり」、断食などの苦行ではなく、まず、心からの回心、内面的回心を求めます。
昔、罪に対する鞭打ちのようなものもありました。
この内面的回心がなければ、償いの行為はむなしく、偽りのものです。それに対して、心からの回心は、悔い改めの行為や業などの目に見えるしるしをもって表されます。
1 内面的回心
*内面的回心(悔い改め)とは、生活全体の根本的転向、つまり私たちが心の底から神に復帰し、罪を断ち、悪から遠ざかり、犯した悪い行為を嫌悪することです。それは同時に、神の憐みを希望し、その恵みの助けに信頼して、生き方を変えようという望みと決心との伴うものです。この回心には救いに通じる苦痛と苦しみとを伴いますが、教父たちはこれを魂の苦悩、心の痛悔と呼んでいます。
*人間の心は鈍く、かたくなです。(頑固だったりします)。神から新しい心を与えていただく必要があります。回心は第一に神の恵みの働きであり、この恵みによって心は神に向きを変えます。
「主よ、みもとに立ち返らせてください。私たちは立ち返ります」(哀歌5・21)。神はもう一度やり直す力をお与えになります。心は神の愛の偉大さを発見することにより、罪の醜さと重さとに打たれ、罪によって神に背き、神から離れるのを恐れるようになります。人間の心は、罪によって刺し貫かれた方を見つめて回心します。
2 回心の多様な形
*キリスト者の内面的回心は、きわめて多様な形をとります。聖書や教父たちは、自分自身、神、および他人とのかかわりに関する回心を表す断食、祈り、施しという三つの形について特に力説しています。
*洗礼や殉教によって行われる根本的な清めのほかに、罪のゆるしを得る手段として、隣人と和解する努力、悔い改めの涙、隣人の救いへの配慮、聖人たちの執り成し、隣人愛の実行などを挙げています。
*回心は日常生活の中での、和解の行為、貧しい人々への心遣い、正義の行い、他人の権利の擁護、他人への過ちについての告白、兄弟の回心を目指す忠告、生活の見直し、良心の糾明、霊的指導、義のために迫害をしのぶことによって実現されます。日々自分の十字架を担ってイエスに従うことが、悔い改めの最も確かな道です。
*日常の回心と悔い改めは感謝の祭儀をその源泉、養分とするものである、ということがわかります。感謝の祭儀のうちに、私たちを神と和解させてくださったキリストのいけにえが現在化されるからです。キリストのいのちを生きる人々はそれに養われ、強められます。
*典礼暦の悔い改めの時と日(四旬節、イエスの死を記念する各金曜日)は、教会が悔い改めを行うのに最適の時期です。黙想会、回心式、悔い改めのしるしとしての巡礼、断食、助け合い(ボランティア)などを行うのに特にふさわしい時です。
*回心と悔い改めの過程については、「放蕩息子」の例えの中でイエスがみごとに描写しています。その中心は「いつくしみ深い父」です。息子は失ったものについて反省し、後悔して、父親の前で自分の過ちを認める決心を経て、家に戻ります。父親は彼を寛大に迎え、大いに喜びます。このたとえには、回心と悔い改めの過程の特徴がよく表れています。