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みことばの響き

喜びおどる 待降節第4主日(ルカ1・39~45)

 私たちはどんな時に喜びを感じるでしょうか。苦しみから解放された時、悩みが解決した時、お祝いの時など、種々のケースを考えることができます。

 今日もみことばでは「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」と記されています。「おどる」と表現されている言葉は、ギリシア語では「エスキルテーセン」が使われ、「飛び跳ねた」「ジャンプした」の意味があります。キリストが到来したことへの率直な喜びが表現されているのではないでしょうか。これに似た表現は、旧約聖書では創世記25・22に「胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、『これでは、わたしはどうなるのでしょう』と言って、主の御心を尋ねるために出かけた」とあります。リベカの胎内にいるのは、エサウとヤコブですが、ルカ福音書はこの二人を洗礼者ヨハネとイエスに適用し、後から生まれるイエスが先に生まれるヨハネより偉大な者となることを暗示します。

 またルカ1・44に「胎内の子は喜んでおどりました」と出てきます。「喜ぶ」というと、ギリシア語では通常「カイロー」が使われます。ところがここでは「アガリアセイ」が使われ、それは「歓喜」「大喜び」の意味を持っています。通常の喜びを越える意味合いが感じられるのではないでしょうか。このことから、「胎内の子が喜んでおどりました」は、通常の喜び以上のものが感じられます。

 「喜び」という言葉は、ルカ福音書によく使われています。見失った羊(ルカ15・4~7)、なくした銀貨(15・8~10)、放蕩息子のたとえ(15・11~32)など。その中でも今日の箇所に出てくる「喜び」は、他の箇所にない大きな喜びが感じられます。

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