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これってどんな種?

聖霊トークという種 待降節第4主日(ルカ1・39〜45)

 「女子会」とか「女子トーク」という言葉があります。同じ年代や境遇、ママ友など気が合う仲間で食事をしたり、悩みや恋の話をしたりといろいろな話題で盛り上がったり、深めたりするのでしょう。では、洗礼の恵みをいただいている私たちは、【聖霊トーク】というので盛り上がったり、深めたりすると一人ひとりの信仰が豊かなものとなるかもしれませんね。

 きょうのみことばは、マリア様がエリサベトの所に行く場面です。ルカ福音書の1章5節から「ザカリアへの天使のお告げ」があり、その次には、「マリア様へのお告げ」の場面があります。そして、きょうのみことばへと続くのです。聖書の中では、不妊の女性がおん父の介入によって身籠るという記事が出てきます。例えば、イサクの母サラやサムソンの母マノアそしてサムエルの母ハンナは、「不妊」と言われていましたがおん父の恵みによって身籠っています。

 きょうのみことばのエリサベトも天使ガブリエルらのお告げによって洗礼者ヨハネを身籠ります。エリサベトは、身籠った後5か月の間引き籠った後「これこそ、主の業です。主はわたしを顧みられ、人々の間でわたしの恥となっていたことを、取り除いてくださいました」(ルカ1・24〜25)と言っています。エリサベトは、自分のお腹の中にお告げの通り子が宿ったことを感じ、その子が【おん父の業】ということを確信します。

 次にマリア様へのお告げですが、エリサベトと同じように天使ガブリエルがマリア様の所に現れイエス様を身籠るというお告げをします。マリア様の場合は、「どうして、そのようなことがありえましょうか。男の人を知りませんのに」(ルカ1・34)とありますように、不妊ではなく「男を知らない」うちに身籠ります。ガブリエルは、「あなたの親戚エリサベトも、年老いていながらも男の子を身籠っている。不妊の女と言われているのに、はや6か月になっている。神には何一つおできにならないことはない」(ルカ1・36〜37)とマリア様に伝えます。

 きょうのみことばは、「そのころ、マリアは旅立って、急いでユダの山地にある町に向かった」とはじまっています。この「そのころ」いうのは、もちろんガブリエルが、マリア様に現れイエス様を身籠ることを告げ、そして、エリサベトが身籠ったことを伝えたことを指しています。マリア様は、ガブリエルから自分と同じように、おん父の介入によって身籠ったエルサベトの所に「行きたい」と思ったのです。それは、本当にエリサベトが身籠っているかを確かめに行くのではなく、「行かなければ」と思ったからなのです。

 マリア様は、まだ12歳くらいではなかったでしょうか、そのような年齢でユダの山地にある町にお1人で行かれたのです。今のように交通機関が発達していないころですから、何日もかけてナザレからユダに行き、さらに【山地】とありますから、険しい道をいかければならなかったことでしょう。そのよう苦労してまで、マリア様はエリサベトに会いたかったのです。きっと、自分の身に起こったこと、そして、何よりもおん父の介入によって身籠ったことの喜びを分かち合いたかったのではないでしょうか。

 マリア様は、ザカリアの家に行ってエリサベトに挨拶をします。エリサベトは、祭司職であったザカリアの妻であり年老いていました。一方、マリア様は、10代前半でまだナザレという小さな町に住んでいる少女にすぎなかったのです。しかし、マリア様の挨拶を聞いたエリサベトは、胎内の子が踊るのを感じ、聖霊に満たされて、声高らかに叫ぶほどになったのです。みことばには、マリア様の挨拶がどのような内容であったのかは、1行も書かれていませんが、エリサベトが【聖霊】に満たされるような挨拶をされたのです。もちろん、マリア様の【挨拶】は、私たちが日常で使っている【挨拶】ではなく、もっと深い心がこもった、【聖霊】によって言わされたものだったことでしょう。

 エリサベトは、「あなたは女の中で祝福された方。あなたの胎内の子も祝福されています。」と言います。彼女は、マリア様と胎内のイエス様がおん父から【祝福】されていることを伝えます。それから「わたしの主の御母が、わたしのもとにおいでくださるとは、いったいどうしたことでしょう。」と声高らかに叫びます。エリサベトは、年齢も身分も違うただ親戚の子であるマリア様に対して【祝福】の言葉を伝えたのです。この中には、エリサベトの謙遜な心があると同時に【聖霊】によって出てきた【祝福】の言葉といってもいいでしょう。

 エリサベトは、「あなたの挨拶の声が、わたしの耳に入ったとき、胎内の子が喜び踊りました。」と彼女の胎内の子が喜び踊ったことを感じます。エリサベトは、ご自分が聖霊に満たされ感じたことをマリア様に伝えます。みことばは、マリア様の聖霊に満たされた【挨拶】とその【挨拶】を受けたエリサベトの【聖霊】に満たされた【祝福】の言葉で満たされています。私たちは、彼女たちのように【聖霊トーク】ができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

  1. 聖霊トークという種 待降節第4主日(ルカ1・39〜45)

  2. ありのままという種 待降節第3主日(ルカ3・10〜18)

  3. 整えるという種 待降節第2主日(ルカ3・1〜6)

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