書籍情報、店舗案内、神父や修道士のコラムなど。

みことばの響き

目を覚まして祈る 待降節第1主日(ルカ21・25~28、34~36)

 世の中にはたくさんの不安があるかもしれない。この前の衆議院選挙で自民党が議席を減らし、今後、政権運営はどのように進むのだろうかと不安をいだく人もいます。また景気の低迷がずっと続き、失業者が増加しています。今後、社会はどのように変化していくのだろうか。

 かつて天体の変動なども人々に大きな不安を駆り立てていきました。「太陽と月と星に徴が現われる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る」(ルカ21・25)。「天体が揺り動かされる」(ルカ21・26)。15年前の4月、イタリアのアクィラで大きな地震があり、多数の死傷者が出ました。今でもその復旧作業が続いています。ある日、イタリアで国際会議があり、その合間にアクィラから来られた方に会う機会がありました。その方が「日本では地震は頻繁にあるけれど、アクィラでは珍しいことで、地震の時にはとても驚きましたよ」という話をしていました。ふだんそういう体験がない所での地震は、とても恐ろしいものです。

 また「放縦や深酒や生活の煩い」(ルカ21・34)を挙げます。こうした思い煩いは、富や快楽から出てくることをしばしば述べています(ルカ8・14、12・22)。そうしたものに注意をすることを著者は喚起します。「目を覚ましていなさい」とも…。ところが、私たちは疲れや悩みなどのために長い間苦しむこともあります。そんな時ほど「目を覚まして」いなければならないのではないでしょうか。

 同時に今日のみことばは「祈りなさい」とも語っています。私たちが求めるものに対する心構えが見えてくるのではないでしょうか。

 典礼年間のスタートにあたり、私たちがふだんどんな姿勢をとっているかを考えてみたいものです。

RELATED

PAGE TOP