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おうち黙想

『うつ』と共に歩む待降節 第4回(全4回):「闇を超える光と希望—闇の中での神の働き」

皆さん、待降節の旅もいよいよ終わりを迎えつつあります。これまで、私たちは「闇」「孤独」「ノイズ」と向き合い、そこに神の臨在を感じる黙想を行ってきました。今回は、そのすべてを締めくくる「光と希望」をテーマに、特に「闇」に注目しながら考えていきます。多くの人が「光」を探し求めますが、光が得られない時に感じる失望は、うつを抱える人々にとっては大きな痛みとなることがあります。だからこそ、私たちは「闇」に目を向け、そこに神がどのように働きかけておられるのかを深く見つめていきます。闇は単なる神の不在ではなく、むしろ神の働きかけが起こる場であることを理解することが、待降節の最も重要なメッセージの一つです。

1. 闇は神の不在ではない—創世記の闇からの学び

聖書の最初の章である創世記は、世界が混沌とし、闇が深淵の上にあった場面から始まります(創世記1:2)。この状態は、無秩序で希望がないように見える暗闇を象徴しています。しかし、その闇の中で神が「光あれ」と言われると、光が生じました。この瞬間は、闇が単なる無意味な空虚ではなく、神が新しい秩序と光を生み出すための場であることを示しています。つまり、闇は神の不在を意味するのではなく、むしろ神の働きの始まりなのです。

私たちの人生にも、深い闇や混乱が訪れることがあります。特に、うつを抱える時、心が闇に覆われてしまい、何も見えなくなることがあります。しかし、そのような闇の中でこそ、神は私たちと共にいてくださり、新しい光を生み出そうとしているのです。闇は私たちにとって避けられない現実かもしれませんが、それを単なる絶望として捉えるのではなく、神の働きかけの場として受け入れることができます。

このように考えると、闇の中にいること自体が、神が働いている証であると感じることができます。神は私たちの見えないところで働きかけ、闇の中から新しい光を生み出そうとしておられるのです。これは単なる理屈ではなく、信仰に基づく深い確信です。うつを抱える方々にとっても、この視点は、闇の中で失われそうな希望を取り戻す助けとなるかもしれません。

2. 闇を受け入れる勇気と意味

多くの人は、闇を恐れ、避けようとします。明るさや光に向かうことは、人間の自然な本能です。しかし、闇はただ恐れるべきものではありません。待降節のこの期間、私たちは闇を否定するのではなく、むしろその中で神が働いておられることを信じ、受け入れる勇気を持つことが大切です。闇は決して孤立や絶望をもたらすものではなく、神が私たちと共におられる証拠でもあるのです。

うつの中にいると、自分自身を責めたり、周囲とのつながりを感じられなくなったりすることが多いかもしれません。しかし、神はそのような闇の中で、私たちの心に静かに語りかけておられます。聖書には、神が人々に静かに語りかける場面が多く記されています。例えば、預言者エリヤが神と出会った時も、大きな風や火の中ではなく、「静かな細い声」の中で神が語りかけられました(列王記上19:12)。これは、神が私たちの心の静寂や混乱の中で、静かに働きかけてくださることを示しています。私たちが闇の中で孤独を感じる時も、神はそこにおられるのです。

闇を受け入れることは、決して楽なことではありません。それは、自分自身の痛みや不安に向き合うことを意味します。しかし、神が共におられると信じる時、私たちはその闇を恐れずに受け止めることができます。闇の中でこそ、神が私たちに働きかけ、希望の光を生み出そうとしておられるのです。

3. 闇の中で経験する変容

待降節の黙想を通じて、私たちは闇の中での神の働きを感じることができました。うつや孤独、混乱の中で、神がどのようにして私たちを導き、変容させてくださるのかを考えました。闇は決して終わりではなく、新しい始まりの場です。神は私たちの心の中に小さな光を灯し、それを少しずつ育ててくださいます。うつを抱える方にとって、この光は一瞬の慰めではなく、深い変容をもたらすものです。心の中で感じる小さな希望や安らぎが、神の働きによって大きな力に変わることを信じましょう。

十字架の聖ヨハネが「暗夜の魂」と呼んだように、闇の中での霊的な旅路は、私たちが自己と向き合い、神により頼むための時間です。闇は私たちを試すものではありますが、同時に神との新しい関係を築くための場でもあります。うつの中で感じる闇を否定せず、神の働きを信じて進むことで、私たちの心は少しずつ変容していきます。

4. 闇を超える光ではなく、闇そのものにある希望

私たちが待降節を通じて探してきたのは、単に闇を超える光ではなく、闇そのものの中にある神の希望です。闇の中で神が働いておられることを信じることで、私たちは無理に光を求める必要はありません。神はすでにその闇の中で働きかけ、私たちに新しい希望を与えておられるのです。うつを抱える方々にとって、この希望は一瞬の慰めではなく、深い変容をもたらすものです。闇の中で共にいる神を感じることで、私たちは新しい道を見つけることができるのです。

5. 祈りを通じて闇の中にある神を見つける

最後に、祈りを通じて闇の中にある神の臨在を感じる黙想を行いましょう。

1. 闇を受け入れる祈り
静かな場所で目を閉じ、自分の中にある闇を感じてみましょう。恐れや不安、孤独感を否定せず、そのまま受け入れます。「神よ、この闇の中で私はあなたを求めます。あなたが私と共にいてくださることを信じ、この闇をあなたに委ねます」と祈ります。
2. 神が共にいることを感じる
祈りの後、しばらくの間、神がどのように共にいてくださるかを感じてみます。具体的な解決や光を求めるのではなく、神が共にいることを信じる心を大切にしましょう。

6. 闇と共に迎えるクリスマス

待降節の旅を経て、私たちはクリスマスを迎えます。この日は、闇の中で新しい光がもたらされた日です。しかし、その光は闇を否定するものではなく、闇の中でこそ輝くものです。イエスが生まれた夜も、静かな闇の中で起こった出来事でした。私たちの心にある闇も、神が共におられるからこそ新しい希望が生まれるのです。闇を超えるのではなく、闇の中で神と共に歩むことで、私たちは真の希望を見出すことができます。

待降節の黙想を通じて、私たちが闇を受け入れ、そこにある神の働きを信じ、希望を見出すことができますように。神はどんな時も私たちと共におられ、闇の中で新しい光を生み出してくださるお方です。このことを心に刻み、クリスマスの喜びを迎える準備をしていきましょう。

7. 終わりの挨拶

この黙想を通じて、皆さんが心の闇の中で神と出会うことができたかもしれません。闇は時に私たちを恐れさせ、無力感や孤独を感じさせるものですが、同時に神がともにいてくださる場所でもあります。

うつが良くなったり悪くなったりするように、人生にも浮き沈みがあり、それを避けることはできません。やがて再び光を見いだせない状況が訪れることもあるでしょう。しかし、それは正常な経過であり、一進一退を繰り返しながら人生も心も前進していきます。だからこそ、闇の中で経験した神との出会いは特別な意味を持つのです。闇や孤独が再び訪れたとしても、それは絶望のしるしではなく、むしろ神と出会う場であり、新たに神との関係を築く機会であり、新たな出発点です。でも、決して無理をしないでください。待降節の典礼が示すように、神の国は私たちが迎えに行くのではなく、神ご自身が訪れてくださるものです。神のペースに合わせるのではなく、神があなたのペースに寄り添ってくださいます。

主の平和が皆さんの上にありますように。そして、良い御降誕をお迎えできますように、お祈り申し上げます。

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大西德明神父

聖パウロ修道会司祭。愛媛県松山市出身の末っ子。子供の頃から“甘え上手”を武器に、電車や飛行機の座席は常に窓際をキープ。焼肉では自分で肉を焼いたことがなく、釣りに行けばお兄ちゃんが餌をつけてくれるのが当たり前。そんな末っ子魂を持ちながら、神の道を歩む毎日。趣味はメダカの世話。祈りと奉仕を大切にしつつ、神の愛を受け取り、メダカたちにも愛を注ぐ日々を楽しんでいる。

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