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カトリック入門

第178回 洗礼の恵み【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

序)洗礼について、今日は三回目です。洗礼の必要性や恵みについて考えてみましょう。

1 洗礼の必要性
*教会が初めから常に確信してきたのは、信仰のためにいのちをささげる人々は、洗礼を受けなくても、キリストのために、キリストと共に死ぬことによって、洗礼を受けるということです。殉教の場合、血の洗礼、望んでいたけれど、その機会がなくて亡くなった人たちに対する望みの洗礼というのがあります。
*具体的に、洗礼を受ける前に死んだ求道者については、洗礼を受けたいという明白な望みに罪の痛悔と愛とが伴っていれば、洗礼の秘跡によって受けるはずの救いが保証されます。
*また、キリストとその教会とを知らずに真理を求め、自分の知るところに従って神のみ旨を行うすべての人は救われうるのです。このような人々は、洗礼の必要性を知っていたなら、洗礼を受けたいという望みを表明したに違いないと考えられるからです。
*洗礼を受けずに死んだ幼児については、教会にできるのは、幼児の葬儀の際に行っているように、その子どもを神のあわれみに委ねることだけです。「子どもたちを私の所に来させなさい」(マルコ10・14)と言われたイエスの子どもたちへの愛情からみて、私たちは洗礼を受けずに死んだ幼児には救いの道があると希望します。

2 洗礼の恵み
*洗礼の種々の効果は、秘跡の儀式の目に見える要素によって表されます。水に浸ることは、死と清めを意味すると共に、再生と一新の象徴でもあります。したがって、洗礼には罪の清めと聖霊による新たな誕生という、二つの主な効果があります。
*洗礼によって、すべての罪、すなわち原罪、すべての自罪、また罪のすべての罰もゆるされます。
*しかし受洗者には、苦しみや病気や死、あるいは性格の弱さなどといった人生にはつきものの種々のもろさなど、罪に由来する一時的な結果は残ります。さらに、情欲など、罪への傾きなどもそうです。「罪への傾きは、わたしたちがそれと戦って訓練されるために残されましたが、それに同意せず、キリストの恵みによって勇敢に抵抗する人々を害することはできません。そのうえ、『規則にしたがって競技をするならば、栄冠を受けることができるでしょう』(二テモ2・5参照)」。
*三位一体の神は、受洗者に成聖の恩恵、義とする恵みを与えます。
 ①受洗者は、神を愛し、神に希望し、神を愛することができます。
 ②聖霊のたまものによって聖霊に動かされて生き、行動することができます。
 ③倫理徳によって、ますます善を行うことができます。
*洗礼は私たちを教会に結び合わせます。こうして人々は国や文化や人種や性別などのあらゆる自然的、あるいは人間的な限界を超えるものです。
*洗礼を受けた人は、「霊的な家に造り上げられ、聖なる祭司となる」ための「生きた石」となります。洗礼によってキリストの祭司職、預言職、王職にあずかります。つまり、共通祭司職にあずかります。
*洗礼によってキリストに合体した受洗者は、キリストに似た者とされます。当人がキリストのものとなったことを示す消えない霊印をしるします。洗礼は一回限りのもので、繰り返すことはできないのです。

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