序)聖歌や音楽は、祈りと深いかかわりを持っています。
*ダビデは竪琴を奏でながら、詩編を歌ったり、修道院では「教会の祈り」を共同で唱え、歌ったりします。心を合わせて祈る姿は、使徒1・14を思い起こすでしょう。
*「教会の祈り」を交互に歌う時、片側は歌い、片側は沈黙します。それは沈黙のうちに祈りを味わう意味が込められています。
*神を賛美するために、種々の楽器が使われます。特にオルガンは最たるものでしょう。
1 教会の意向
*「典礼憲章」112番に次のように記されています。
「全教会の音楽伝統は、他の諸芸術の表現にまさって、はかりしれない価値を持つ宝庫を成しています。それは特に聖歌が、ことばと結ばれて荘厳な典礼の一部を成し、必要なもの、または充実をもたらすものだからです」。
*しばしば楽器の伴奏が伴われていた、霊感を受けて作られる即興の詩編、詩吟は、すでに旧約時代の典礼の一部を成していました。教会はこの伝承を継続し、発展させます。
まさにダビデが竪琴を奏でながら歌った姿です。
詩編3:賛歌。ダビデの詩。(詩編4、5と続く)
詩編18:主の僕の詩。ダビデの詩。主がダビデをすべての敵の手、また、サウルの手から救い出されたとき、彼はこの歌の言葉を主に述べた。
詩編51:賛歌・ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき。
歌の中に、賛美、礼拝、感謝、悔い改め、沈黙の祈りなどがある。
*「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェ5・19)。
*アウグスチヌスの言葉に、「歌う者は、二倍の祈りをする」というのがあります。
2 歌と典礼の結びつき
*歌と音楽は「典礼行為と固く結ばれるにしたがって」、いっそうよくしるしの役割を演じますが、そこには忘れてはならない三つの基準があります。
➀祈りの表現豊かな美しさ
②定められた部分における会衆の心を合わせた参与
③祭儀の荘厳さ
*こうして、歌と音楽は典礼で用いられる言葉と動作の目的、つまり、神の栄光と信者の聖化とに寄与します。
*聖アウグスチヌスの「告白」の中に次のような言葉があります。
「あなたへの聖歌、あなたへの賛歌、そしてあなたの教会に響く甘美な歌声を聞いて、わたしは幾度涙を流したことでしょう。これらに耳を澄ましては、どんなに感動したことでしょう。歌はわたしの耳に流れ込み、心に真理が注がれました。たまらない敬神の思いがして、涙が頬を伝わりましたが、それは快いものでした」。
3 Ave verum corpus
*グレゴリオ聖歌で、聖体礼拝の歌。しかし、モーツァルトの曲が有名になった。
彼の晩年の作で、in examineで終わっている。死を意識したかも。
Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことのお体よ。
Vere passum immolatum in cruce pro homine:
人々のため犠牲となりて十字架上でまことの苦しみを受け、
cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.
貫かれたその脇腹から血と水を流し給いし方よ。
Esto nobis praegustatum mortis in examine.
我らの臨終の試練をあらかじめ知らせ給え。
O Iesu dulcis,
優しきイエスよ。
O Iesu pie,
慈悲深きイエスよ。
O Iesu Fili Mariae.
マリアの子イエスよ。
*聖体の歌として味わう。