序)「処女マリアは、真に神の母、あがない主の母として認められ、たたえられます。マリアは……『まことに(キリストの)肢体の母です。なぜなら、マリアは教会の中にその肢体である信者が生まれるよう愛をもって協力したからです。』」「マリアはキリストの母、教会の母です」。
1 教会に対するマリアの母性
➀御子キリストと一体になって
*教会に対するマリアの役割は、キリストとの結合に直接由来するもので、この結合から切り離すことができません。「救いのみわざにおける母と子とのこの結合は、キリストが処女マリアの胎内に宿られたときから、その死に至るまで現れています」。これは特に受難のときに現れます。
②被昇天のときも(1950年、ピオ12世教皇によって教義決定)
*「最後に、原罪のいかなる汚れにも染まずに守られていた汚れなき処女は、地上生活の道程を終えて、肉体と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、そして主から、すべてのものの女王として高められました。それは、主たる者の主であり、罪と死の征服者である自分の子に、マリアがよりよく似たものとなるためでした」。聖マリアは天に上げられることによって御子の復活に特別な仕方であずかり、他のキリスト者の復活を先取りされました。
③マリアは恵みの世界でわたしたちの母である
*処女マリアは、御父のみ旨と、御子のあがないのわざと、聖霊の働きに全面的に賛同したことにより、教会にとっては信仰と愛の模範です。このことにより、マリアは「教会の卓越してまったく独特な肢体で」であり、教会の「模範として仰ぐべき存在」、「範型」でさえあります。
*教会と全人類に対するマリアの役割には、これ以上のものもあります。彼女は「従順、信仰、希望、燃える愛をもって、人々に超自然的生命を回復するために、救い主キリストのみわざにまったく独自な方法で協力されました。このためにマリアは恩恵の世界でわたしたちにとって母です」。
*マリアは教会において、弁護者、扶助者、仲介者の称号をもって呼び求められています。
2 聖マリアへの崇敬
*「聖マリアへの教会の信心は、キリスト教的礼拝に内在するものです」。聖母マリアは、「特別な崇敬をもって教会からたたえられます。確かに聖なる処女は最古の時代より、『神の母』という称号のもとに敬われ、信者はあらゆる危険と必要に際してそのご保護を祈り求めつつ、そのもとに避難するのです。この崇敬は、まったく独自なものですが、父と聖霊と受肉されたみことばに等しくささげられる礼拝とは本質的に異なる者であり、その礼拝に大いに奉仕するものです」。
*この崇敬は神の母にささげられた典礼祝日や「福音書全体の要約」である聖なるロザリオなどの、マリアへの祈りに表されています。
3 教会の終末的な姿としてのマリア
*マリアに目を向けて、彼女の中に教会の神秘、「信仰の旅路」にある教会の姿、旅路の果てにある祖国での教会の姿を観想すべきです。この旅路の終わりに、教会が「至聖にして不可分の三位一体の栄光となるよう」、「すべての聖人たちの交わりのうちで」待っているのは、まさに、教会が主キリストの御母として、また自分たちの母として崇めている方である。
*『教会憲章』68番に、
「イエスの母は、天上において肉体と霊魂ともどもすでに栄光の中にある者として、来世において完成されるべき教会の姿であり始まりである。同じように、地上においては、主の日が来るまで、旅する神の民にとって確かな希望と慰めのしるしとして輝いている。」