「愛」という言葉がよく登場します。「愛」とはどんなものでしょうか。ちょっとこじつけになるかもしれませんが、「愛」という字の真ん中にある「心」を抜き、残った字を考えると「受」という字になります。「愛」というのは相手の気持ちを快く受け止めることも「愛」の形ではないでしょうか。単に与えるだけではなくて…。遠藤周作氏の「愛情論」という本の中に、「愛とは『棄てないこと』だと」記しています。また今道友信氏によると、「愛の反対は無関心」だとも語ります。それぞれに示唆に富んだ言葉です。
さて今日のことばで「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」とイエスは語ります。このように語るイエスにペトロは「あなたのためには命も捨てます」(ヨハネ13・37)と強気の発言をします。そういいながらも実際にはイエスのことを三度も否定したりします。そんな体験をしたペトロも、自分の言葉に責任を感じたのか、最後は逆さ十字架の刑で殉教していきます。十分に従うことができなかったとしても、仲を修復していくのは、いつもイエスの側からです。イエスの限りない愛が見えてくるのではないでしょうか。
広島平和記念資料館の館長であった畑口實さんにインタビューしたことがあります。お父さんを原爆で亡くし、館長室にはお父さんの形見の懐中時計が展示されていました。お母さんも被爆し、畑口さん自身はお母さんの胎内にいました。やがて生まれたものの、しばらくしてお母さんは原爆の後遺症のために亡くなりました。自分がいつ発病するか分からないと言っていました。そんな館長さんが一番感謝しているのは、被爆したお母さんが自分を産み、育ててくれたことです。自分の命を捨てるほどのお母さんの愛情があったからこそ、自分が存在しているのだと…。
限りない愛情は、いろいろな世界の中で息づいています。