序)キリストはご自分のからだの部分の間に違いがあることを定めましたが、さらにその違いがからだの一致と使命の遂行に役立ちます。なぜなら、「教会の中には種々の役職がありますが、使命はただ一つだからです。使徒とその後継者は、主の名(とその権能)によって教え、聖化し、治める任務をキリストから受けました。しかし、信徒もまたキリストの祭司職、預言職、王職にあずかる者であり、教会と世間において、神の民全体の使命における自分の役割を果たすのです」。さらに「聖職者の中にも、信徒の中にも、福音的勧告の遵守の誓約によって、それぞれ特別の仕方で神に奉献され、教会の救いの使命に奉仕するキリスト者もいます」。
1 ヒエラルキア
*位階制度のことを、「ヒエラルキア」と表現しました。
段階があり、昔は、そのトップが教皇というイメージを持っていました。いわゆるピラミッド型でした。
最近では、円の真ん中に教皇がいるような存在です。一緒に歩む雰囲気が感じられる。
2 位階制度
*福音宣教について、聖パウロは次のように語ります。
「聞いたことのないかたを、どうして信じられよう。宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」(ロマ10・14~15)。個人であれ、集団であれ、いかなる人も、自分で自分に福音を告げることはできません。「信仰は聞くことによって始まります」(ロマ10・17)。だれも、自分で自分に福音を告げ知らせる命令と使命を与えることはできません。主から遣わされたものが、自分の権威ではなくキリストの権威によって語り、行動するのです。しかも共同体の一員としてではなく、キリストの名によって共同体に語ります。だれも、自分で自分に恵みを授けることはできません。恵みは与えられ、差し出されるものです。このために、権威と資格とをキリストから受けた恵みの奉仕者が存在しなければなりません。司教と司祭は、頭であるキリストの代理者として働く使命と権能(「聖なる権限」)とを受け、助祭は、司教およびその司祭団と一致しながら、典礼とことばと愛の「助祭職」によって神の民に仕える力を受けているのです。キリストから遣わされた者たちが、自分自身では行うことも与えることもできないことを、神の賜物によって行い、与えることを可能にするこの奉仕の務めを、教会の伝統は「秘跡」と呼んでいます。教会の奉仕の務めは、固有の秘跡によって授けられるのです。
3 仕えるという特質
*教会の役務の秘跡的本姓と密接に結ばれているのは、「仕える」という特質です。事実、使命と権威とをお与えになるキリストにまったく依存する者として、役務者は真に「キリストのしもべ」です。これは、私たちのために「しもべの身分」(フィリ2・7)を進んで取られたキリストの姿に倣うものです。役務者が奉仕者として伝えることばと恵みは、自分たちのものではなく、キリストのもので、キリストがこれらを他の人々のために彼らに委ねたからです。ですから、役務者は進んで万人のしもべとなります。
4 位階制度の始まり
*教会の役務が団体的性格を持つのも、その秘跡性に由来します。事実、宣教の当初から、主イエスは、「あらたなるイスラエルの芽生えであったと同時に、聖なる位階制度の始まり」でもある「十二人」を定められました。この十二人を定められました。この十二人はともに選ばれ、ともに派遣され、その兄弟的一致はすべての信者の兄弟的交わりに奉仕するものとなったのです。使徒団のこの一致は、三位一体の交わりの反映でもあり、あかしでもあります。それゆえ、各司教は、ペトロの後継者でもあり司教団の頭でもあるローマ教皇と結ばれている司教団の中で、それぞれの奉仕職を行使します。司祭たちは司教の指導のもとに、教区の司祭団の中でそれぞれの奉仕職を果たします。
*教会における秘跡に基づく奉仕は、キリスト名で行われます。これは個人的な性質のものであると同時に団体的な形態を持つ。このことは、司教団とその頭であるペトロの後継者とを結ぶきずな、自分の部分教会に対する司教の司牧責任と普遍教会に対する司教団の共同の配慮との関係において現れます。