ピノトゥにとって、もう一つの忘れがたい日は、同じ1917年の12月8日である。この日ピノトゥは、聖パウロ会創立期の草分けといえる他の5名と一緒に、初誓願宣立を認められたのである。もちろん、この誓願は公式に認められたものではなく、個人的なものである。というのも、聖パウロ会が教区の修道会として認可されたのは、やっと1927年になってからである。いずれにしても、聖パウロ会創立記念日(1914年8月20日)を同会の第一の歴史的日付とすれば、この初誓願は第二の歴史的日付になる。ピノトゥは、この日の状況を詳しく日記に書き残している。
志願者たちは、初誓願の行われる日を待望していました……。晩の祈りが終わってから、もっともきれいな部屋の聖パウロのご像を、無原罪の聖マリアのご像と置き換えました。聖堂はまだありませんでした。敬愛する神父様は、短白衣とストラを着けてから、あぜんと眺めている志願者全員に向かって、次のように話しました。
「あなた方にとっても大事なことを話したいから、短白衣とストラを着けています。ご存じのとおり、市長にしても王にしても、公式行事を行う場合には三色の肩帯を着用します。
私たちは“良書出版を促進しなければならない“と口を酸っぱくして行っています。今は、大勢の人が良書出版のために働き、その時間やエネルギーを幾分か割いています。ある人は名誉のため、ある人は儲けのため、ある人は趣味のためにそうします。私たちは趣味のためとか、名誉のためとか、儲けのために働く気にはなりません。また、出版の仕事自体が気に入ってやっているわけでもありません。それよりも、良書出版を通して、神の栄光と社会の中でイエス・キリストが崇められること、そして人びとの救いを求めています。また、ここにおられるあなた方のうちには、感傷からではなく、問題の事情を重々承知した上で、全生涯を出版使徒職の投ずると決意し、その時間も、才能も、体力も、健康も、すべてをささげることにした方がいます。
……神様にまったく聖別奉献する方は、この四名ともう一人の方です。五番目の方(Torgiato Aemani )は、まだ兵役中ですから、今と同じ時刻にノヴァラ(Novara)で神様に聖別奉献いたします。
……創立の日以来、本会はずいぶんと難局を切り抜けてきました。いつでも、何から何まできちんと整っているのは、神様がご自分のこの事業を望んでおられるという、もっとも確かなしるしです。
皆さんは、特に私は、泥棒であると非難されましたが、ご存じのとおり、私は泥棒ではありません。私の持っているものをあなた方のために使っているからです。私は司教へ訴えられて修道院を閉鎖しなければならないという瀬戸際に追い込まれましたが、神様は私たちを助けてくださいました。
ローマ(教皇庁)へも訴えられました。もし、あの聡明な、活力あふれる司教様がいなかったならば、どうやって、やっかい事を免れることができたでしょうか。市長や副知事へも、しばしば訴えられました。良い人たちさえも本会を中傷しました。私たちも承知していますが、あなた方一人ひとりは、本会に入る前に、本会への非難を聞いてきました。また、あなた方の大半は、ほんとうにひどい困窮に立ち向か私たちなければなりませんでした。
このような試練は、私たちが謙虚であるためにも、大黒柱は神だけということを私たちに思い出させるためにも必要なものでした。……今晩の儀式が、神様に聖別奉献の約束をする若者たちを、その宣教使命にいっそう固く結び付ける助けとなるように、また決心の実行力をより多く与えてくださる一助けとなりますように。他の人にとっては、この儀式が、自分の召し出しがあるかどうか、この事業を通して神に聖別奉献したいかどうかを反省させる助けになりますように。また、神への聖別奉献を志す人たちの心の準備にもなりますように。
責任は重くても、慰めは多いし、おまけに、神様は天国に良書出版の働き手のための特別賞を用意してくださいます。誓願を立てた方は文書を書いて署名してぐたさい。こちらへ近づきなさい」。
「ヴェニ・クレアトール(聖霊来てください)」が歌われてから、神父様は座りました。私たちは一人ひとり神父様の前にひざまずいて、誓願文を読みながら、神様に聖別奉献されました。神父様は一人ひとりに受け答えをしていました。
同僚たちの感動は、えも言われぬほどのものであり、何よりも私たちの感銘と喜びは、筆舌に尽くせないものでした。皆は神妙にうつむいていましたが、その心は高鳴り、手足は震えていました。荘厳な足取りや神父様のお言葉、それに誓願宣立の瞬間が、私たちの心を打ったのです。私たちは、もはや私たちのものではありません。神様のもの、神様と良書出版のためであれば全力投球する用意があると思っていました。……は熱意にあふれていました。聖パウロと聖母マリアに向かって、一つの祈りを唱えました。その時、神父様は、その子どもたち全員を祝福されました。また子どもたちの決心や願望や、神父様が全員にあるとおっしゃった善意を祝福してくださいました。
昨晩の余韻が尾を引き、実を結びました。つまり、今日は十字架、熱意、生活にますます張りが出てきて、進歩に拍車がかかりました……。
・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。