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みことばの響き

惜しみなくささげる 主の公現(マタイ2・1~12)

 今日のみことばにおいて、異邦人である東方の学者たち(マギ)がキリストに出会います。これによって東方の人たちにもキリストが明らかになっていきました。「主の公現」をギリシア語で「エピファニア」と表現します。これは「現れること」「明らかにすること」を意味しています。キリストのことについて、はっきりと知っていなかった異邦人の世界にも明らかになったことになります。

 「主の公現」は3世紀に東方教会で始まり、やがて西方教会(ラテン教会)にも広まっていきました。お祝いの由来は、イエス・キリストを通して神の救いの光が諸国の民に現れたことを記念するものです。その意味でも今日のお祝いは、すべての人に救いがもたらされることを考えることができるでしょう。

 「公現」にあたり、東方の学者たちがイエスのために持参するものは、黄金、乳香、没薬です。当時としてはとても高価なものでした。黄金はまさに一般庶民には手に入らない高嶺の花。乳香はアラビアから輸入される香料で、古くから神殿への供え物として使われていました。没薬は結婚式や埋葬の際に用いられるもので、キリストの死や苦しみを印象づけるものです。聖ペトロ・クリソロゴ司教は説教の中で「乳香をもって神を、黄金をもって王を、没薬をもって死すべき方を認めます」と語っています。

 2008年11月24日に「ペトロ岐部と187殉教者」が列福されました。その中に1613年10月7日に殉教した8名の「有馬の殉教者たち」がいます。彼らは有馬を代表する人たちでしたが、その殉教にあたり、2万の信者たちが手にローソクとロザリオを持ち、しかも一番よい服を着て彼らの殉教を見届けました。こうした姿勢には、東方の博士たちの思いと共通するものを感じるのではないでしょうか。

 「主の公現」にあたり、私たちも神様のために最もよいものを惜しまずにささげる気持ちを考えてみたいものです。

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