「十人の乙女のたとえ」を通して、私たちがふだんからどのように準備していくかを問いかけてくれる内容です。
2011年6月、私の叔母がクモ膜下出血のため71歳で亡くなりました。叔母は20代半ば、お見合いで結婚。相手の男性は小学生の時に耳を悪くし、それ以来全く聞こえない方でした。二人の子供に恵まれ、家庭は貧しかったけれど、お互いに支え合って生活しました。ご主人は耳が聞こえないので、会話の時は叔母が言葉を発しながら指で文字を書き、ご主人がそれに答える。例えば「学校」という時には、叔母は「がっこう」と発音しながら、指で「が・っ・こ・う」と書いていく。するとご主人が「がっこう」と答える。とても不自由な生活でしたが、不幸だとは思いませんでした。
叔母が60代半ば頃、ご主人は寝たきりの生活になりました。自宅での介護が難しく、バスで15分くらいの所にある養護老人ホームにお世話になりました。叔母は毎日、老人ホームに通い、着替え等を持って行き、いつも枕元で話しかけていました。昨年の秋、叔母といっしょに老人ホームを訪問しました。いつものように着替えを手に持ち、ご主人に優しく語りかけていました。結婚したことを決して後悔していないこと、貧しかったけれど幸せな人生であったことなど…。
ある日の午後、いつものようにご主人の着替えを持参してバスに乗って老人ホームに向かいました。ところが途中で具合が悪くなり、乗客が介護してくれました。バスは終点まで走り、その後、とても親切な運転手が病院を手配してくれました。たくさんの人の手助けにもかかわらず翌日、叔母はクモ膜下出血のため帰天。ハンドバッグの中には、子供たちの連絡先やご主人に関する必要事項を記したメモが残っていました。いつ具合が悪くなってもいいように準備していたのかもしれません。ご主人をずっと看病していたので、ご主人より先に亡くなるとは誰も考えていませんでした。
ふだんからよい準備をした人の歩みを身近に感じた思いです。