序)洗礼にはどんな意味が込められているか?
清める:洗うことによって、きれいにする。罪を洗い清める。
死:深く水の中に沈めることにより、死をイメージ。
生:再び生きる。水を飲むことによって生き返る。
三つのイメージ。
1 イエスの洗礼
*イエスはヨルダン川で洗礼を受ける。これはイエスの公生活の始まりである。
*洗礼者ヨハネは、「罪のゆるしを得させるために悔い改めの洗礼」(ルカ3・3)を宣べ伝えていました。
おびただしい罪人、徴税人、兵士、ファリサイ派、サドカイ派の人々、娼婦たちがやってきて、ヨハネから洗礼を受ける。
*聖霊が鳩の形でイエスの上にくだり、「これはわたしの愛する子」(マタ3・13~17)と宣言する、天からの声がします。これはイエスを、イスラエルのメシア、神の御子として現わす出来事でした。
2 イエスにとっての使命
*イエスの立場からすると、この洗礼は神の苦しむしもべとしての使命を受諾することであり、その開始でもある。イエスは私たち罪人と同じような立場に立たれていく。
イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」であり流血の死の「洗礼」を先どりしておられる。
*御父のみ旨にあますところなく従い、わたしたちの罪のゆるしのため、死の洗礼に愛をもって同意することで、すでに「正しいことをすべて」(マタ3・15)行っておられます。
*イエスのこうした受諾にこたえて、御父からの声があり、御子がご自分の心にかなう者であることを示されます。受諾の時からイエスを満たしていた聖霊が、彼の上にくだり、「とどまります」。イエスは全人類のために霊の泉となるのです。
*洗礼の際、アダムの罪が閉ざしていた「天がイエスに向かって開いた」(マタ3・16)のです。イエスが水に入り、霊がくだることによって水は聖化されます。これは新しい創造でもあります。
*イエスはご自分の洗礼において、その死と復活を先どりされました。キリスト者は洗礼の秘跡によってこのイエスに同化されます。キリスト者はこのへりくだりと悔い改めの神秘にあずかり、イエスとともに水に下らなければなりません。それは、イエスとともに水から上がり、水と霊によって再生し、新しいいのちに生きます。(ロマ6・4)
*教父のことばとして、「洗礼によってキリストとともに葬られましょう。キリストとともに復活するために、キリストとともに下りましょう。キリストとともに上げられるために。キリストとともに上がりましょう。キリストにおいて栄光を受けるために。」