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これってどんな種?

目に見えないものという種 年間第30主日(マタイ22・34〜40)

 『星の王子さま』の中に「大切なものは、目には見えない」という言葉があります。このことは、「大切なものは、肉眼の目に映るものではなく、心の目で見る」ということを伝えようとしているのではないでしょうか。例えば、【愛】は、目では見えません。しかし、私たちは、この目では見えない【愛】を心から求めています。私たちの周りには、どれほどおん父からの【愛】で満たされていているかを感じる作業ができたらいいですね。

 きょうのみことばは、ファリサイ派の中の律法の専門家がイエス様に「律法の中でどの掟がいちばん重要ですか」と尋ねる場面です。ファリサイ派の人々や民の長老たちは、何とかしてイエス様の言葉尻を捉えて、イエス様を失脚させようとしています。彼らは、さまざまな喩え話をイエス様から聞かされ、「自分たちが回心するように話された」と気づかず、反対に「侮辱された」と感じます。そのため、彼らは「納税について」、「復活について」の問題をイエス様に質問して言葉尻を捉えようとします(マタイ22・15〜33参照)。しかし、イエス様は、それらの質問に対して非の打ち所がないお答えをされたのです。

 きょうのみことばは、「サドカイ派の人々がイエスに言い込められたのを知って、ファリサイ派の人々が集まった」という節から始まっています。普段は、ファリサイ派の人々は、「納税について」の質問した時の「ヘロデ党」や「復活について」の質問をした「サドカイ派」の人たちとは反目しあっていました。しかし、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、イエス様を陥れようとするためには、彼らと手を結んでいたのです。人は、自分たちの利権を守るためには、普段仲が悪くても手を結ぶという利己心を持ってしまうようです。

 ファリサイ派の人々は、何とかしてイエス様を陥れようとして集まります。そして、ファリサイ派の人々たちの中の「律法の専門家」がイエス様を試みようとして「先生、律法の中でどの掟がいちばん重要ですか」と質問します。律法には613もの掟があります。彼は、この律法の中で「いちばん重要な掟は何か」と質問しますが、この質問の裏には「イエス様が一つを選ぶことによって、他の律法を軽んじてもいい」という【試み】があったようです。

 私たちの周りには、いろいろな【掟(ルール)】があります。例えば、「交通ルール」「校則」「スポーツのルール」などと数えきれない【掟(ルール)】があります。もし、私たちがこの【掟(ルール)】を自分たちの【義務】としてとらえていると辛くなるのではないでしょうか。しかし、自分たちを【守るもの】として考えると、安全や安心そして平和を保つことができるのです。

 ファリサイ派や律法学者たちは、残念ながら【律法】を守らなければならないもの、自分たちを【束縛】するもの【拘束】するものとしてとらえていたようです。しかし、おん父が彼ら(私たち)に対しての【掟】は【十戒】というものでした。【十戒】は、私たちが信仰生活を送るための最も必要なおん父からの「【愛】の掟」なのです。イエス様は、律法の専門家に対して「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』」と答えられます。この言葉は、申命記の中にあってユダヤ人たちが子どもの頃から唱えているとても身近なものだったのです。

 イエス様は、「その身近な【掟】がいちばん重要である」と答えらます。イエス様が言われたこの箇所にある「心」「精神」「思い」そして「愛」というのは、目に見えません。しかし、感じることができるのではないでしょうか。イエス様は、さらに、「第二の掟もこれに似ている。『隣人をあなた自身のように愛しなさい』」と言われます。

 イエス様が答えられた【第1の掟】である「……あなたの神である主を愛しなさい」という目に見えないものを、目に見えるように表したのが【第2の掟】と言ってもいいでしょう。この【第1の掟】を通して私たちは、「信仰を深め養う」ことができ、【第2の掟】を通して実際に、見える形で「おん父を愛する」ことができるのではないでしょうか。私たちは、周りの人から優しい言葉かけや親切な行いを受けた時には、私たちの心が和みますし、勇気が湧いてきます。それは、私たちがその人の愛を感じることができるからと言ってもいいでしょう。そして、私たちが【愛を感じる】というのは、私たちの心がその【愛】を受け入れる状態であるということなのです。

 イエス様は、「すべての律法と預言者は、この2つの掟に基づいている」と言われます。イエス様は、ファリサイ派の人々や律法学者たちが【律法】だけにこだわり、聖書全体に目を向けていないことを指摘されながら、律法だけではなく、聖書に全体の中に書かれたおん父の愛を伝えられます。

 私たちは、日常の中で「目に見えない」おん父への【愛】を「目に見える」【隣人愛】に変えていくことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

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