75 「教会の奉仕者」は司祭である。「わたしは……これらのことを書いています。それは……神の家において、どのようにふるまうべきかを、あなたに知ってもらいたいためです」(Ⅰテモテ3,14-15 )。
76 私はほかのすべての宗教施設の中で最も高潔な、最も完全無欠な社会の一員であるという聖なる誇りをもとう、それどころか、その社会は誤ることができない。超自然のものである。それはローマの、使徒伝来のカトリック教会である。
行いによる愛。(キリストの)ように教会を愛しなさい。「キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったのです。キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした」(エフェゾ5,25-27 )。
「彼らのために、わたしは身を捧げます、彼らも真理によって捧げられた者となるためです」(ヨハネ17,19 )
私自身を聖なる者としなければならない。
共同体の各メンバーを者としなければならない。
教会と同じ考えかたをしなければならない。
熱心──「わたしは、今、あなたがたのためにこれらの苦しみを受けていることを喜んでいます。キリストの苦しみの欠けているところを、キリストの『体』のために、この身で補うのです」キリストの『体』とは教会のことです」(コロサイ1,24)。
教会のために私を成果しなければならない。
77 教会の長上に向かって「兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい」(Ⅰテサロニケ5,12-13 )。
次のことが長上たちの義務である。
すなわち自分の上にある神の権限を認めること。
上長の方針に忠実でなければならない。誠実な協力。
ある人たちは、自分がほかの人より、よりよく知っているとか、ほかの人にいつでもよい勧めを与えることができるとか思っているが、この人たちを避けたほうがよい。というのも、この人たちは「信心深いそうに見えるが、実際には徳がないからである……」
78 兄弟会員を愛すること。「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、”霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリッピ2,1-4 )また「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい(エフェゾ4,1-3 )。なぜなら天のおん父はひとりであり、あがない主もひとりであり、希望も一つ、目的も一つであるからである。各人の宝は、みんなの宝である。またその逆でもある。たとえば聖パウロとテモテ。
79 信者や志願者やすべての兄弟たちに対して、
尊敬するぐらいの正しい評価。
共同体へのまったき献身。
一人ひとりを世話する(聖パウロが聖テモテにしたように)。
親切な態度でつねに和らげた正しい根気強さ。
私は申し分のない性格であるか?「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように」(Ⅰテサロニケ 2,5-7 )。
師イエスに向かって
80 わたしの特別な務めを考えなければなりません。主よ、私はあなたの子らの間では、あなたのいたらない代理者だからです。神から召された多くの男女が私に託されています。私にはたくさんの協力者、恩人、学生、仲間がおります。たくさんの読者がおります。私はすべての人に「果たさなければならない責任があります」(ローマ1,14)。
私は祈りの義務を果たしましたか?
私は模範の義務を果たしましたか?
私は指導の義務を果たしましたか?
私は用心の義務を果たしましたか?
私は矯正の義務を果たしましたか?
私はがまんの義務を果たしましたか?
日々の糾明として聖務の時間を使わねばなりません。
細かなことにくよくよせずに、信頼しなければなりません。
修道精神、勉学、使徒職を向上させるために、諸力をも精神をもじょうずにまとめていくために働かねばなりません。
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。