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月刊澤田神父

祈りとは? ─聖パウロ修道会創立記念日にあたって─【月刊澤田神父 2023年8月号】※字幕付き

※0:50〜 「1914年の8月20日に」が正しい字幕となります。

聖パウロ修道会の創立

 8月20日は、わたしたち聖パウロ修道会の創立記念日です。今から109年前の1914年8月20日にイタリア北部のアルバという町で聖パウロ修道会は創立されました。「創立」と言っても、形のうえでは小さな印刷所を始めただけのことで、とても「修道会」と呼べるものではありませんでした。多くの修道会と同じように、「馬小屋」からの出発でした。
 典礼暦のうえでは、8月20日は聖ベルナルド修道院長の記念日です。聖ベルナルドは、祈りと知性を深く調和させた聖人です。この日が創立記念日に選ばれた理由の一つなのかもしれません。

祈りとは?

 聖パウロ修道会の創立者アルベリオーネ神父は、祈りについて次のように述べています。

 祈りは、それがどのような種類のものであっても、常に、生活に根ざしたもの、いのちと直結したものでなければなりません。つまり、祈りは生活全体、いのちのすべてを網羅し、わたしたちのあらゆる活動を結集し、わたしたちの持つあらゆる機能、あらゆる能力を動員するものでなければなりません。いのちのすべて、すなわちこの世でのいのちと永遠のいのち、すべてです。
 祈りは、常に、思い、感情、意志、一日のあらゆる活動を包み込むものでなければなりません。
 祈りは、血液のようなものです。血液は、心臓から出て、体のあらゆる部分を駆け巡りながら、その機能全体を養い、生かします。このように、祈りはいのちのすべて、生活のすべてに影響を及ぼすはずです。使徒職に、レクリエーションに、勉学に、あらゆるおこないに、あらゆる人間関係に、祈りは影響を及ぼさなければなりません。
 祈りは、わたしたちの日々の生活全体、わたしたちの存在全体を巻き込むものでなければなりません。その人全体が聖化されなければならないからです。
 このようにすれば、わたしたちの祈りは、真に、生活に根ざしたもの、いのち全体を包含するもの、すなわち十全的で欠けたところのないものとなるでしょう。存在全体が祈り、存在全体が永遠へと向かうからです。
 わたしたちの祈りは十全的なものとなっているでしょうか。もし、わたしたちが祈りから使徒職を切り離しているなら、それは体の一部に麻痺してしまった部分を持っているのと同じことです。大切な部分でありながら、血液を受け取っていないため、麻痺してしまうのです。この点は非常に重要です。おそらく、一ヵ月かけて黙想しなければならないほどのことです。

 「十全性」は、アルベリオーネ神父が最も重視したことです。祈りは、知的働き、感情、望み、生活の全体を巻き込むものなのです。創立記念日にあたって、改めてこのことを思い起こし、歩みを新たにしたいと思います。

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澤田豊成神父

聖パウロ修道会司祭。1965年、東京都目黒区生まれ。1996年、司祭叙階。教皇庁立グレゴリアン大学神学科修士課程で聖書神学を専攻、神学修士号取得。現在は編集をとおしての宣教に従事。東京カトリック神学院、聖アントニオ神学院講師。

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