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福者ジャッカルド神父

まえがき――福者ジャッカルド神父(1)

 先に私は、『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』を著述し、「ジャッカルド神父の日記」を翻訳出版したが、本書は以上二つの本と極めて類似したところがある。それは、パウロ家の創立者ヤコボ・アルベリオーネ神父を聖パウロに例えれば、ティモテオ・ジャッカルド神父はその名の示すとおり聖パウロの愛弟子聖テモテに例えられ、このコンビで、マス・メディアを使って福音宣教をするパウロ家の発展の基礎が築かれたからである。聖テモテ(神を愛する者)は聖パウロの福音伝道の「協力者であり、忠実な弟子」とされているが、このことは次の『コリントの信徒への手紙』の中でもうかがい知ることができる。「彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおり、キリスト・イエスに結ばれてわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」(Ⅰコリント4・17)と。

 アルベリオーネ神父は、ジャッカルド神父が司祭になった翌年(1920年6月30日)に、ジャッカルド神父の修道名をジョゼッペからテイモテオに改名した。当時のことをジャッカルド神父はこう書き残している。「創立者は、私にティモテオの名前を授けてくださいました。その理由は、第一に、この名前は私の霊的戦い、つまり『神を大事に思う』ことを表しているからであり、第二に、聖パウロに愛されたもっとも熱烈な弟子だからであり、第三に、私と創立者との関係が聖テモテと聖パウロの関係にそっくりだからです」。

 実際にジャッカルドは、聖パウロ修道会(略称「聖パウロ会」)創立後3年目の1917年7月、21歳でアルバ神学校の神学2年を修了した時点で聖パウロに入会し、志願者の中では実力からいっても創立者に次ぐナンバー2の位置にあり、創立者の心を自分の心とし、その片腕となってパウロ家の創設のために粉骨砕身した。

 ジャッカルドとアルベリオーネ神父との最初の出会いは、1908年春にさかのぼる。その前年の6月に司祭となったアルベリオーネ神父は、ナルツォーレ(Narzole )教会の主任司祭の補佐として赴任し、そこで当時12歳のジャッカルドに出会った。アルベリオーネ神父は、ジャッカルドの資質を見込んでアルバの神学校への入学を斡旋し、学費を負担した、同年10月、アルベリオーネ神父はアルバ神学校の指導司祭兼教授となり、ジャッカルドの指導にも当たることになった。

 ジャッカルドは、聖パウロ会入会後、マエストロ(教師)として若い志願者の教育に当たっていたが、1919年10月19日、聖パウロ会で最初の司祭に叙階された。翌年12月にはジェノヴァの聖トマス神学大学の卒業試験を満点でパスし、1921年から5年間は、創立者を助けてアルバ修道院の副院長を務め、後に会計係も兼任した。第一次世界大戦後の不況の中、彼は出版使徒職のための機材購入、住居や印刷工場の創設、志願者の養成などに従事した。また、苦手の会計業務も行って、終始、借金の返済に頭を悩ましていた。

 1926年1月、ジャッカルド神父は数人の若者を連れてローマに向かい、聖パウロ会の最初の支部をローマ城壁外の「聖パウロ大聖堂」の近くに設立した。これはジャッカルド神父の謙虚で、思いやりのある人柄に負うところが大きい。また彼は、1936年から10年間アルバ母院の院長を務め、パウロ家のためにも物心両面にわたって大いに尽力した。ジャッカルド神父は、1946年10月から聖座付総代理者に就任し、ヴァチカン当局との事務折衝に当たり、創立者とともに聖パウロ会本部に居住した。翌年白血病で倒れ、1948年1月24日に52歳で帰天した。

 ジャッカルド神父は、信心深い家庭環境に育っただけに極めて信心深く、特にマリアへの信心は他の追従を許さず、それは後に『使徒の女王マリア』というタイトルの書物として結実した。性格は内向的であってもデリケートであり、勤勉で几帳面であり、賢明で忍耐深かった。学業成績は常にトップであり、この世的なものより超自然的なものに興味を持ち、物質的なものより霊的なもの、心の豊かさ、特に神と人間との結びつき、人間同士のコミュニケーションを大事にし、隣人愛を実践した。

 このように、ジャッカルド神父は、聖パウロと同じように「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものとなりました。何とかして何人かでも救うためです」(Ⅰコリント9・22)という精神で生活していた。

 ところが第二ヴァチカン公会議は「どのような身分と地位にあっても……信者はキリストから受けたたまものの量に応じて、この完徳(注、キリスト教的生活の完成と完全な徳)を獲得するように努力し、こうしてキリストの足跡に従い、その姿に似たものとなり、万事において父の意志を行いながら、(教会憲章40)と決議している。この決議は、キリストが聴衆に向かって「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5・ 48)と仰せられたことを敷衍したものであり、すべての人が聖性に召されているという現実に対して、世人の注意を喚起している。

 さらに、後述の「列福とか何か」の項の中で、福者資格基準の一つに「平凡なことを平凡でないかのように実践し、生活した人」とあることから見ると、“だれでも努力さえすれば福者になれるし、福者になるには雲の上のような、この世離れした生活をする必要はない。ごく普通の地味な生活をしていても、常に神への愛と隣人への愛とを機軸にして、自分の生活を超自然化するコツさえ心得ておけば、福者になれる“という具体例をジャッカルド神父が示してくれたのである。したがって、一般の人であっても、本書から生活のあらゆる面での重要な判断のヒントなり、考え方なり、進むべき道なりを引き出すことができると思う。

 また、ジャッカルド神父はパウロ家の最初の福者であり、その精神において創立者アルベリオーネ神父の分身、あるいはパウロ家の共同創立者であるからということから、彼の生涯はパウロ家の原点を知る上で、またパウロ的精神を身につける上で、大いに参考となるものである。
本書の作成に当たって、多くの資料や情報を提供してくださった方々、特にイタリア語の面で助けてくださったボアノ神父先、原稿をチェックされた方、これを公正し、出版に至るまで力を尽くしてくださった方々に感謝する次第である。最後に、読者の上に豊かなお恵みがありますように。

・『マスコミの使徒 福者ジャッカルド神父』(池田敏雄著)1993年
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し掲載しております。

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