今日の場面で、弟子たちにとっての不安な材料をいくつか探してみましょう。
まず第一にイエスは弟子たちを強制的に船に乗せます。漁師育ちの弟子たちにとって、船に乗ることは苦にはならないでしょうが、イエスが同乗していないのは何となく不安な状況です。第二に夕方になっていること。しかも、5つのパンと2匹の魚を男五千人もの人たちに与えた後だけに、彼らだってクタクタになっているし、船に乗るよりも家でちょっとゆっくりしたい気分でしょう。さらにパンを分け与えた時刻がすでに夕方だっただけに、日もかなり落ちたことでしょう。灯台があるわけでもなく、町のあかりもさほど明るくはありません。ガリラヤの田舎だけに真っ暗になったことでしょう。第三に陸からかなり離れていること。周囲があまり見えません。第四に風が出てきたこと。ガリラヤ湖は山々に囲まれ、湖とはいえ、けっこう突風が吹いたりします。
こうした種々の状況を考え合わせると、弟子たちにはかなりの不安な要素がありました。そんな中、湖上を歩いておられるイエスを見て、弟子たちが「幽霊だ」というのも納得できます。
不安に満ちた彼らに対してイエスは「安心しなさい」「勇気を出しなさい」と語りかけます。弟子たちはイエスだとはっきり分からず、イエスを試します。「主よ、ほんとうにあなたでしたら、『水の上を歩いて来い』とわたしに命じてください」とペトロは語ります。イエスへの疑いです。イエスはペトロに「来なさい」と語ります。これは弟子たちが召命を受けた時の言葉と同じではないでしょうか。ペトロはイエスについて行こうとしますが、怖くなり、沈みそうになります。最後には「主よ、助けてください」と。
私たちにも種々の人生の嵐があります。そういう時を経て、たびたび「主よ、助けてください」の言葉を発するのではないでしょうか。その弱さには、イエスが共にいてくださる印にもなっています。