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月刊澤田神父

復活のイエスとマグダラのマリアの出会い【月刊澤田神父 2023年7月号】※字幕付き

「マリア!」 ─復活のイエスとマグダラのマリアの出会い─

マグダラのマリア
 7月22日はマグダラのマリアの祝日です。教皇フランシスコによって、記念日から祝日へと変えられました。マグダラのマリアは、すべての福音書で復活の日にイエスの葬られた墓に行った一人として記されています。
 比較するのはおかしいのかもしれませんが、男性の弟子たちが隠れていた中で、婦人たちはイエスのためにできることをします。その中の一人がマグダラのマリアでした。

ヨハネ福音書の記述
 福音書の描写の中でヨハネ福音書の記述は際立っています。マグダラのマリアは、イエスが葬られた墓に一人で行きます。しかし、「墓から石が取り除かれている」(ヨハネ20・1)のを見て、弟子たちのもとに帰ります。そして、「誰かが主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わたしたちには分かりません」(20・2)と言います。その後、ペトロと主が愛しておられたもう一人の弟子が墓へ向かいます。

 その後、マグダラのマリアは再びイエスが葬られた墓の前に行きます。み使いたちが墓の中にいて、彼女は自分の思いを打ち明けます。「誰かがわたしの主を取り去りました。どこへ置いたのかわたしには分かりません」(20・13)。マリアにとっては、復活ということは頭にはなく、イエスは亡くなった方なのであり、その大切な遺体を探していたのです。

 そこに復活したイエスが現れます。ヨハネ福音書では、復活したイエスが最初に現れた相手はマグダラのマリアです。しかし、マリアはイエスだと気づくことができません。マリアは尋ねます。「あなたが、もしあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、教えてください。わたしがあの方を引き取ります」(20・15)。マリアにとっては、愛するイエスはすでに「死んだ方」でした。だから、イエスの「遺体」がどこにあるのか探し求めていたのです。人が死ぬという現実は、それほど重いものなのです。

 ところが、イエスが彼女の「名前」を呼ぶことによってすべてが一変します。「イエスは、『マリア』と仰せになった」(20・16)。

 マリアはそこにいる方がイエスであること、イエスは「死者」ではなく「復活して生きておられる方」であることを理解するのです。

 あれだけイエスを愛していたマグダラのマリアでさえ、目の前に現われてくださったイエスをイエスとは理解できませんでした。わたしたちも同じで、現実の中で現れてくださるイエスをイエスとは理解できないのだと思います。でも、マグダラのマリアが復活のイエスから「名前」を呼ばれた時にすべてが分かったということ(ヨハネ10章の羊飼いと羊の関係)を踏まえれば、わたしたちもイエスから名前で呼ばれた時に気づくことができるのだと思います。もちろん、そのためにはイエスの羊として羊飼いであるイエスとの関係を深め、羊飼いの声を聞き分ける羊となることが必要なのでしょう。

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澤田豊成神父

聖パウロ修道会司祭。1965年、東京都目黒区生まれ。1996年、司祭叙階。教皇庁立グレゴリアン大学神学科修士課程で聖書神学を専攻、神学修士号取得。現在は編集をとおしての宣教に従事。東京カトリック神学院、聖アントニオ神学院講師。

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