56 「また、あなたがたの五体を、罪に使えるよこしまなことのための武器にしてはいけません。かえって、自分自身を死者の中からよみがえったものとして神にささげ、また五体を救いの義に役立つ武器として神にささげなさい」(ローマ6,13)
57 わたしたちは罪に死んだ者である。「あなたがたのいのちは神のうちにあって、キリストとともに隠されている」。私たちのいのちは新しいいのちであり、しかも内的生活のいのちである。それよりもすぐれた生活、つまり超自然的の生活である。私たちの中に生きているのはキリストである。私たちの中では霊的な人が生きている。
聖パウロはダマスコにいたときにまったく死んでしまった。しかし、洗礼によって別人に生まれ変わった。つまり新しいキリストととして生まれ変わった。
洗礼によってひとりの新しい人、つまりキリスト信者が生まれる。
誓願によってひとりの新しい人間、つまり修道者が生まれる。
叙階によってひとりの新しい人間、つまり司祭が生まれる。
58 新しい司祭生活は、もっぱら活動的なものである。司祭の頭脳も、想像も、望みも、ことばも、品行も、事業も司祭であるイエス・キリストのものと同じである。
司祭であるキリストの姿に変容された者であり、天国の住人の姿になっており、永遠の事がらを告げ知らせる者である。「あなたがたはキリストとともに復活させていてただいたのですから、上にあるものを求めなさい。ここでは、キリストが神の右の座に着いておられます」(コロサイ3,1 )。神に関心があることは自分に関心があることである。イエス・キリストの考えは、自分の考えである。司祭はキリストとともに感じ、キリストのように話す。司祭の生活はイエス・キリストの生活を再現するものである。
しかし、その生活は、絶えず気を配ることによって成長し、維持し、増大するものである。「深い知識へ進ようにと、創造主の姿にかたどって絶えず新しくされる『新しい人』を身にまとっているのです」(コロサイ3,10)。
第一に、あらゆる衰弱予防のために(心の中では)世間から離れた生活をしていかなければならない。「あなたがたは世間のものではない」。世間はキリストや神のことに頓着しないからである。
第二にキリストを自分のかてにする。「キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、あらゆる知恵を用い、恵みによる詩や賛美の歌、霊的な歌をもって互いに教え、忠告し合い、神に向かって心から歌いなさい」(コロサイ3,16)。キリストを精神のかてにする。つまりご聖体からくるいのちを精神のかてにする。日中、聖体訪問や霊的聖体拝領によって、しばしばイエスと交わる。外的手段によってもその連帯感を新たにする。
イエスを心のかてにする。「あなたの天幕はしたわしい、ああ、万軍の主よ! 私の魂は、主の門を恋こがれ、……雀さえもすまいをつくり、つばめも巣を得、そこにひなを入れた、あなたの祭壇のかたわらに」(詩編84,2-4)。
59 このようにして、司祭は、本当に、いのちを与える者になるだろう。司祭は自分のかてとしているキリストの精神をどこへでももって行くだろう。司祭は自分の心にあふれているものを人々に注ぐであろう。
師イエスに向かって
60 あなたは私にいのちを与えるために死なれたのです。「私は復活であり、命である」(ヨハネ11,25 )。
私の役務は自分の霊的生活を深めるほどに初期の効果を生むでしょう。人々はみんな神の人(訳注、司祭)から学ばなければならないと思っています。司祭の人柄からにじみ出るものから、つまり司祭の考え方であれ、簡素な、信心深い、精神を集中した、感銘を与える生活であれ、皆は何かしら神々しさを、そこから学ぶべきだと感じています。人々は司祭の中に「何か神々しさもの」があると直観するのです。イエスこそ地上のすべてのものの上にあげられて復活した人間です。もし私たちが「キリストとともに死んだのなら、またキリストとともに生きることにもなる、とわたしたちは信じています。死者のうちから復活させられたキリストは、もはや死ぬことがないと、わたしたちは知っています。死はもはやキリストを支配しません」(ローマ6,8-9 )。
(私たちの)体も来世において復活します。復活体はその本人の徳と功徳と超自然的生命を反映したものでしょう。すなわち、復活体は輝き、苦痛を感じることなく、不滅で、敏活で鋭敏なものになるのです。「あなたがたのいのち、キリストが現れるとき、あなたがたもキリストとともに栄光にかがやいて現われ出るのです」(コロサイ4,3 )。
ですから、「わたしたちの国籍は天にあり、わたしたちはそこから来られる救い主、イエス・キリストを待ち望んでいるのです。そのとき、主イエス・キリストは、すべてのものをご自分に従わせることさえできる力によって、私たちのみじめな体を変容させ、栄光に輝くご自分の体と同じようにしてくださいます」(フィリッピ3,20-21 )。
ロザリオの祈り、ミゼレレ。
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。