パソコンで「しょうめい」と入力すると「証明」「照明」「正銘」「省明」「昇明」「昭明」「正名」「紹明」「正明」と出てきます。残念ながら「召命」という用語は出てこないので、単語登録する必要があります。それほど「召命」という言葉が一般社会の中では認知されていないのかもしれません。「召命」は英語ではvocationと表記され、ラテン語のvocare(呼ぶこと)に由来します。自分から率先して歩み始めたのではなく、神様から呼ばれた意味を持っています。
今日の聖書の中にも「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」とあり、「呼ぶこと」と関連しています。羊飼いが呼びかけることからも分かるように、父である神様ご自身からの呼びかけとなります。
さて今日の内容は、パレスチナの羊飼いと羊との関わりが背景になっています。羊の囲いと言っても、人の背丈くらいの簡単な石垣でできていました。朝、羊飼いたちは自分の羊たちを囲いから連れ出し、牧草を食べさせ、運動させ、おいしい水を飲ませるように配慮し、夕方にはもとの囲いに戻ってくるのが原則でした。
こんな状況の中でよい牧者は羊の先頭に立って行きます。しかも羊は牧者の声に従っていきます。両者には切っても切れない信頼関係で結ばれています。教会においては、教皇様が声をかければ司祭・修道者・信徒がそれに従うように…。聖パウロ修道会の「会憲」の中には、誓願の際「聖パウロ修道会の会憲に従い、共同生活において(1年、終生の)貞潔、清貧、従順、ならびに使徒職に関しては教皇への忠誠の誓願を立てます」と。これも教皇様の声に聞き従う一つの証です。
召命は単に司祭・修道者だけでなく、信徒の召命もあります。困難な社会の中にあって、よい牧者である教皇様の声にも耳を傾けながら共に歩みたいものです。