序)神の姿にかたどって造られ、神を知り、愛するように招かれている人間は、神を求めながら、神を知るためのいくつかの道を発見する。これは「神の存在証明」
1)聖パウロ
「神について知りうることがらは、彼らにも明らかです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目の見えない神の性質、つまり、神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」(ロマ1・19~20)
2)聖アウグスチヌス
「陸の美を不思議に思い、海の美を不思議に思い、膨張し、流通する空気の美を不思議に思い、天の美を不思議に思い…これらのすべてのことがらの原因を問いただしなさい。すべては、『ごらん、私たちは美しいのだ』とあなたに答えています。これらの美はこれらの事物の宣言なのです。変化するこれらの美は、変化することのない美しい方でなければ、だれが造ったのでしょうか。」
3)現代世界憲章18番
「人間の中にある永遠なるものの種は、物質だけに還元することはできないので」、このような霊魂の起源はただ神のうちにしかありません。
4)トマス・アクィナスの「神の存在」証明(5つの道)
1 より明らかな道は、運動・変化の事実から出発する。この世界において、何かが運動・変化の課程にあることは確かであり、感覚によって確認されている。動いているものはすべて他のものによって動かされている。こうした中で、何者によっても動かされていないところの、ある第一の動者に到達する。この者を神と解している。
2 作動原因の側面から出発する。つまり、私たちはもろもろのこれらの可感的な事物のうちに、作動原因の秩序・系列があるのを見いだす。ところが、あるものが自分自身を生ぜしめる原因であることは、事実ないし、ありえない。なぜなら、その場合には、当のものは、自分自身よりも先にあることになるが、それは不可能である。こうしてある第一の作動原因があるとしなければならないので、それを神と名付けている。
3 可能なものと必然的なものに基づく。すべて必然的なものは、自らの必然性の原因を他のもとから受けるか、そうでないかである。必然性の原因であるようなあるものが存在する。
4 事物のうちに見いだされる段階に基づく。「より多く・より少なく」ということが様々のものについて語られる。例えば、より多く熱いものとは、最高法院の立つ位置。
最高度に真であるもの・善であるもの・高貴なものが存在し、したがって最高度に存在するものがある。
5 もろもろの事物の統治、秩序だけに基づくものである。偶然によってではなく、意図に基づいて目的に到達している。
★いつも、第一原因に対応する。人間の根源に戻ってみる。