本書は、パウロ家の創立者アルベリオーネ神父が1947年4月から5月にかけて、ローマ郊外のアルバノの修道院で黙想会の指導をしたときに用いたメモを集めたものである。テーマは司祭としての、宣教者としての聖パウロであり、その生きかたと手本を主に聖書に基づいて説明し、十八の各題材の後に「師イエスに向かって」の祈りがつけられている。アルベリオーネ神父の考えによれば、司祭である聖パウロの考えかたや生きかたに似れば、大司祭キリストの考えかたや生きかたを身につけることになる。司祭パウロは、その手紙の中で「キリストこそわたしのうちに生きておられるのです」(ガラテア2,20)と言えるほどの境地に達し、キリストの生き写し、いわば分身となっていたからである。
本書を読むとアルベリオーネ神父が、いかにパウロの考えかたと生きかたを自分の生活や使命の中に取り込み、司祭として、宣教師として、あるべき姿に近づこうと努力したかが、いくぶん伝わってくるようである。
本書は、司祭向けの黙想書であるとはいっても、一般信徒に関係ないわけではない。というのは、第二バチカン公会議ノ教えによれば、信徒も「共通司祭職」という任務を担っているからである。「最高永遠の司祭キリスト・イエスは、自分のあかしと奉仕を信徒を通しても継続することをのぞんで……かれらに自分の司祭職の一部を与えた。……かれらのすべての仕事、祈り、使徒的努力、結婚および家庭生活、日々の労苦、心身の休養を霊において行い、なお生活のわずらわしさを忍耐強く耐え忍ぶなら、これらすべてはイエス・キリストを通して神に喜ばせる霊的そなえ物となり(Ⅰペトロ 2,5参照)、ミサの際に主の体の奉献とともに父に敬虔にささげられる」(教会憲章34)。
従って、司祭のみに限らず、一般信者も各自の精神生活をいかにすべきか、その手本を読み取り、本書から生活の糧を得ることができると思う。本書は文体は簡素であるが、内容は豊富であるため読みかたによって本書は、読者のそれぞれの生活の反省や改善の材料にもなれば、宣教活動の光や汲めども尽きせない原動力にもなるのではないだろうか。一九八一年版には《注》がつけられてあるが、ほとんどは著者の誤字の訂正や引用文の訂正なので、日本の読者には、これをつければ却って面倒になると思ったので省略した。また聖書の引用箇所の明示も原文ではばらばらなので、訳文では原文には明示していない所も補足記入した。
本書の翻訳に協力してくださったC・ボアノ神父をはじめ、出版その他で協力してくださったかたがたに改めて感謝する次第である。
訳者
・『霊的生活の模範 使徒聖パウロ』(ヤコブ・アルベリオーネ著、池田敏雄訳)1987年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。