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カトリック入門

【カトリック入門】第95回 外海の出津集落【動画で学ぶ】※レジュメ字幕付き

 外海にある「道の駅 夕陽が丘そとめ」から出津を眺めると町全体がよく分かる。教会を中心に町が発展している。昔は、大橋もなかったので、とても素朴な町だった。また西側には角力(すもう)灘、五島灘が広がり、天気がよい日には五島列島を望むことができる。

 私が初めて外海の出津を訪れたのは、一九七五年三月二十日のことだった。前日に前田万葉神父(現在の大阪教区枢機卿)、浜口末雄神父(現在の大分教区司教)、松下光男神父(長崎教区)、小瀬良明神父(長崎教区)、中島健二神父(長崎教区・故人)の司祭叙階式が浦上天主堂で行われ、翌日、浜口末雄神父の初ミサが出津教会、松下光男神父の初ミサが黒崎教会でささげられた。この初ミサに大勢の神学生で押しかけ、私は出津教会出身の橋口朝光神父の家にお世話になった。橋口神父が神学生だった頃、彼のニックネームが「出津」で、神学生たちは「しつ」ではなく「しっつ」と呼び、ド・ロ神父さんのことを知っていた私の祖母も「しっつ」と言っていたような気がする。いつの頃からか「しつ」が正しい呼称であることに気づいた。さらに外海で活躍した「ド・ロ神父さん」の名前も、失礼ながら最初は「泥」かと思った。外海の開拓のために尽力され、「ド・ロ壁」も現存するので、「泥」でも違和感がないが、正確にはフランス名の「ド・ロ」。呼称というものは面白いものである。

 一六一四年、全国にキリシタン禁教令が発令され、一六四四年、国内で最後の宣教師・小西マンシヨ神父が殉教し、日本に司祭がだれもいない時代が始まった。キリシタンたちは厳しい迫害を逃れ、信仰を維持していくために独自の実践方法を模索していった。出津集落はキリスト教由来の聖画像をひそかに拝む方法である。

 一七九七年、大村藩と五島藩との間に、農民たちの移住協定が結ばれ、外海地域から五島列島などへ移住していった。私の先祖も系図を見ると(「家庭の友」二〇一八年十月号参照)、出津の南にある樫山を出発し、上五島の福見へ移住し、さらに黒島へ移住したようだ。ちょうどこの時期と重なってくる。この頃、五島へ「聞いてみて天国、行ってみて地獄」と多くのキリシタンたちが苦悩したのも事実。

 一八六五年、長崎の大浦天主堂で信徒が発見され、外海集落にも数多くの信徒がいることをプティジャン司教は知った。司教は、出版事業、医療救護活動、建築などに才能を持つド・ロ神父を一八七九年、出津と黒崎地区の主任司祭として派遣した。ド・ロ神父は一八八一年、宣教の活動拠点として出津にレンガ造りの聖堂を設計・施工し、翌年には献堂した。やがて信者が増えたので、一八九一年、現在の祭壇方向に拡張し、上に十字架をいただく小塔を建てた。さらに一九〇九年、玄関部分を増築し、四角の鐘塔を建て、中に鐘を吊るし、フランスから取り寄せたマリア像を塔上に置いた。(『長崎遊学2』長崎文献社参照)

 教会の屋根は黒と白のバランスがとてもよい。またレンガの壁を白いモルタルで覆っているので、レンガ造りには感じない。出津教会の屋根と同じ雰囲気を醸し出しているのが長崎市ド・ロ神父記念館と旧出津救助院。ド・ロ神父記念館はもともと、ド・ロ神父が、外海の人々の生活向上のため、一八八五年に建てたいわし鰯網工場だった。工場が廃止されてからは保育所としても使われ、現在は記念館となっている。この記念館には、医療活動のために使った器具、メリヤス編み機、石版画印刷などが展示され、ド・ロ神父の活躍が偲ばれる。また救助院は一八八三年に建てられた貧しい女性たちのための施設で、一階がマカロニやソーメンなどの工場、二階が織物工場となっていた。

 出津の周辺には、長崎市外海子ども博物館、外海歴史民俗資料館などもあり、この資料館の近くには遠藤周作「沈黙」の碑もある。紺碧の海を望みながら「沈黙」の小説を味わうのもよいだろう。

 ちょっと離れた所に「道の駅 夕陽が丘そとめ」や長崎市遠藤周作文学館がある。道の駅には、外海の海の幸や山の幸を味わうこともできる。有名なものとして、ド・ロ神父ゆかりの「ド・ロさまそうめん」。またド・ロ神父が建設したマカロニ工場は日本初とも言われるが、その製法を復刻して作った「長崎スパゲッチー」などがある。また文学館からは外海の風景を満喫することができ、文学館の中には「沈黙」の生原稿も展示されている。

 また車で15分くらいの所にバスチャン屋敷跡がある。彼は外海周辺で活動した日本人の伝道師で、信仰に必要な暦、「バスチャンの四つの予言」を残したことでも知られている。さらに出津から南へ行った所に黒崎教会がある。レンガ造りで一九二十年に完成している。聖堂内の四角の柱は田平教会のために使われる予定であったが、田平教会が設計変更となったため、黒崎教会で使われることになった。外海から田平へ移住した人も多いので、教会の交流が興味深い。

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