聖アポリナーリス司教の記念日は、7月20日です。しかし、実際に亡くなったのは7月23日であったと伝えられています。
アポリナーリスは、イタリアのラヴェンナに派遣され、困難の中で宣教をし、ラヴェンナの初代司教として教会を導きました。打ち続く迫害の中で、ひどい拷問を受け、それがもとで亡くなったとされています。おそらく2世紀後半のことと思われます。
この聖人については、多くの伝承が残されています。しかし、その生涯は必ずしも明確ではありません。伝承の間で著しく相違する点も見られます。ある伝承では、アポリナーリスはアンティオキアの出身とされています。これは、ラヴェンナ周辺に東方ギリシア語圏の人々が多く住んでいたことと関連しているのかもしれません。しかし、別の伝承では、ラヴェンナ出身、すなわちその土地の出身者とされています。また、使徒ペトロから直接、ラヴェンナに派遣されたとする伝承もあります。しかし、アポリナーリスの活動時期が2世紀後半であるとすれば、この伝承には無理があるようです。
いずれにせよ、すべての伝承が一致して強調しているのは、アポリナーリスの宣教活動が、多くの、しかも継続的な反対に遭ったということです。この時代のほかの司教たちと同じように、アポリナーリスもまた、迫害のために自分の司教区にいることができず、さまざまな地へと避難せざるを得ませんでした。しかし、その中でも、アポリナーリスは牧者として自分にゆだねられた教会を愛し、彼らのために命をささげ尽くしたのです。
命をささげるまでの宣教と牧者としての愛、アポリナーリス司教を特徴づけるこれらの要素は、キリストから来るものです。それは、この聖人の記念を荘厳におこなうときに朗読される福音、ヨハネ10・11-18に見事に描き出されています。
イエスは、「わたしは良い羊飼いである」(11節、14節)と宣言し、その意味を説明するために、羊の所有者である「羊飼い」と「雇い人」である羊飼いとを対比させます。雇い人にとって、羊は自分の持ち物ではないので、危険が迫ると、自分の命を優先して逃げてしまいます。「彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないから」(13節)です。こうして、羊の群れは狼の餌食になってしまいます。一方で、良い羊飼いは「羊のために命を捨て」(11節、15節)ます。羊は自分に属するものであり、羊のことを心にかけているからです。
イエスは、わたしたち羊を牧してくださいます。しかし、それは単に牧するということではなく、わたしたちをご自分の羊としてくださるということなのです。しかも、知り、知られる関係へと招き入れてくださるのです。パレスチナの文化で、「知る」という動詞は、単に知的に知ることだけを意味するのではありません。深いかかわり、全面的なかかわりを結ぶことを意味しています。それだけではありません。羊飼いであるイエスと羊の群れであるわたしたちの関係は、御父と御子との関係と同じものとされます。「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」(14-15節)。だから、イエスは「羊のために命を捨てる」(15節)のです。
しかし、命を奪い取られて終わるのではありません。イエスは、「命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」(18節)方だからです。イエスが命を捨てるのは、「再び受けるため」(17節)であり、こうしてご自分の「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため」(10節)です。
この羊の群れは、まだ完成されたわけではありません。「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる」(12節)からです。羊が「一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(16節)まで、羊の群れは広げられていくのです。このように、司牧も宣教も、牧者としての同じイエスの愛から生まれるもので、神秘的なまでに深い、イエスとわたしたちとのかかわりを表すものです。
イエスが愛してやまない羊の群れ、イエスがすべてを知ってくださり、そのために命を捨ててくださった羊の群れは、教会の牧者たちにゆだねられます。彼らは、イエスの愛に突き動かされて、この愛が隅々まで行きわたるように、またすべての羊がイエスに導かれて命を得るように、献身していきます。羊の群れは絶えず狼の危険にさらされています。しかし、牧者たちは、イエスが心にかけておられるこの羊の群れを見放すことなく、命の危険にあっても、彼らのために尽くし、羊の群れを成長させていきます。聖アポリナーリス司教をはじめとする多くの牧者たちが、これまでそうしてきたように。
すべての司祭がイエスの愛を感じ取り、困難の中にあっても忠実であり続けることができるよう、聖アポリナーリスの取り次ぎを求めたいと思います。