リヨン(現在のフランス)の司教聖イレネオの記念日は6月28日です。イレネオがいつどこで生まれたかは、はっきりしていませんが、2世紀の前半に(130年から140年ごろにかけて)小アジア半島の町スミルナで生まれたと考えられています。この地の司教で、使徒ヨハネの直接の弟子であったとされる聖ポリカルポの教えを、若いころに受けました。
イレネオのその後の歩みは明確ではなく、彼が再び歴史の舞台に現れるのは、スミルナからかなり離れた西方ラテン語圏にあったリヨンにおいてです。リヨンの町は、170年代後半以降、厳しい迫害のさ中にありました。ここで、イレネオは重要な人物として活躍し、高齢の司教が迫害の中、獄死した後は、司教職を継いで、困難の中にあった教会を導きました。
イレネオについては、亡くなった年(200年ごろ?)やその状況も明確ではありませんが、多くの証言に基づき、殉教者として記念されています。
このように、その生涯については記録に残されていない部分が多いイレネオですが、思想についてはいくつかの著作、特に『異端反駁』(原文はギリシア語ですが断片的にしか残っておらず、ラテン語訳Adversus haeresesが残っています)をとおして知られ、歴史的にも後の教会の歩みに大きな影響を与えました。
イレネオは、さまざまな意味で教会の一致のために尽力をした人でした。第一に、当時、大きな広がりを見せていたグノーシス派の異端と戦いました。その際に、イレネオが拠り所としたのは、わたしたちが「使徒伝承」、「使徒継承」と呼ぶ教会の神秘でした。キリストの教えは、その直接の弟子である使徒たちの正しい証しをとおして語り伝えられ、その後継者である司教たちの伝承・継承によって保証されているのであって、キリストへと至る確かな道がこの「使徒伝承」であるということです。グノーシス派の教えは、使徒たちによって伝えられた教えではなく、これに反するものであるため、イレネオにとっては、キリストを中心とした一致を乱す異端にほかならなかったのです。
イレネオは、東西の教会の一致にも尽力をしました。当時、特に、復活祭の日取りについての論争が生じ、東方ギリシア語圏と西方ラテン語圏との間で対立が起きていました。イレネオは東方で生まれ、西方の教会の牧者として生きたということもあったのでしょうか。両教会の一致にも心血を注ぎました。異端と異なり、教えの具体的な適用に関する解釈の違いは、忍耐強い対話をとおして解決を図るほかありません。使徒伝承の正しい信仰への揺らぐことのない忠実と、さまざまな信仰表現に関する忍耐強く寛大な対話の姿勢は、現代のキリスト者にも求められていることでしょう。
今回は、ヨハネ福音書17・20-26を取り上げることにしましょう。ヨハネ17章は、受難物語の直前に置かれていて、イエス・キリストが御父に向かって語る祈りの形をとっています。特に、最後の部分である20-26節は、教会の一致のため、それによって神の栄光が現れるための祈りとなっています。牧者として教会の一致のために尽力した聖イレネオを記念するのにふさわしい個所と言えるでしょう。
さて、ここでキリストが願う教会の一致は、単なる人間同士の一致ではありません。それは、「あなた(=御父)がわたし(=御子)の内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしの内にいるようにしてください」(21節、この個所全体を総括するような思想です)と言われているように、御父と御子との神の一致をひな型とするものです。いや、単に御父と御子の一致を模範とするものではなく、このように御父とつながっておられる御子が、実際にわたしたちのうちにおられ、わたしたちが実際に御子のうちにいることによって成り立つ神秘的一致なのです。これは、御子キリストがわたしたちのうちに来て生きてくださるという生きた恵みとかかわりがなければ実現しません。しかし、同時にわたしたちの側からもキリストのうちに入り込み、キリストのうちに生きようと日々、このかかわりを深めていくことなしには、実現しないものです。だからこそ、このようなわたしたちの一致のうちに、御父と御子のかかわりが輝き出し、それが人々への証しとなるのです。
しかし、この人々(=わたしたち教会)は、キリストが直接にお集めになった人々ばかりではありません。キリストは、「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人のためにもお願いします」(20節)と祈っており、弟子たちの証しや言葉をとおして人々がご自分を信じるようになり、教会の交わりの中に入ってくることを述べておられます。教会の生きた交わり、教会の一致は、キリストの直接の証人である使徒たちとその後継者たちの言葉や証しによって保証され、また広げられていきます。しかし、そのためにはこうした人々の中に御父と御子の一致が映し出されていなければならないのです。「使徒伝承」とは、教えの機械的な伝達ではなく、生きた神秘です。伝承される教えとは、常に生きておられるキリストの福音なのであって、その時代ごとに、「父のもとから出る真理の霊」が「わたし(=キリスト)について証しをなさる」(ヨハネ15・26)のです。生きた神とのかかわりの中に使徒伝承の牧者の姿を見、同じ視点でわたしたちの一致を見ることができないとき、わたしたちの視点は単なる人間的なものに陥ってしまいます。
ヨハネの手紙一は、この使徒伝承の神秘を1・1-4で次のように表現しています。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言(ことば)について。──この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。──わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです」。
聖イレネオは、単に異端と戦ったのではありません。御父と御子との深い交わりが満ちている使徒伝承の神秘を生き生きと温め、その中に形となって現われるキリストの教えを伝え、輝かせ、守ろうとしたのです。わたしたちも、使徒伝承の神秘の中に、具体的な牧者の姿の中に、生きた神の交わりを見いだすことができるよう、わたしたちもこれを輝かせることができるよう、聖イレネオの取り次ぎを願いたいと思います。