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会員たちのコラム

戦時中の「心の平和」 マリウシュ・クラヴィエツ神父(ウクライナのリヴィウ共同体の責任者)

 「恐れるな」 私たちパウロ会士は、教会や聖堂でこの師イエスの言葉を何度目にしたことでしょうか。福者ヤコブ・アルベリオーネは、私たちが常に聖櫃の近くにいることを望みました。

 ウクライナは1ヶ月以上前から戦争状態にあります。毎日、爆弾が各地の家や修道院を破壊しています。マリウポリの街は大きな墓地になってしまいました。多くの人々がウクライナを横断し、出口を探し、より安全な場所を探しているのです。リヴィウはマリウポリほどではありませんが、それでも彼らの涙を見たり、震える腕に触れたりします。

 3月25日、教皇フランシスコはサンピエトロ大聖堂で次の言葉を述べました。「多くの人を襲い、すべての人を苦しめている残酷な戦争は、すべての人に恐怖と狼狽を与えています。私たちは、無力感や不全感を感じています。「恐れてはいけない」という言葉を必要としています。しかし、人間的な安心感だけでは十分ではありません。私たちは神の存在を必要とし、悪を取り消し、わだかまりをなくし、心に平和を取り戻す唯一のものである神の許しの確信が必要です。神のもとに帰りましょう、神の許しのもとに帰りましょう」。

 「神の存在」と 「神の許しの確信 」。この言葉を何度耳にし、口にしたことでしょう。告白しているとき、または告白を聞いている時に。

 人間からくる安心感だけではダメなのです。

 3月26日、私はリヴィウの修道院の中庭にいました。突然、頭の上にロシアのロケット弾が3発見えました。とても速く飛んでいるのですが、とても低く飛んでいたのでよく見えました。今、私は死の道具を見ているのです。数分後、爆発音が聞こえ、水平線上に煙が見えました。

 恐怖と狼狽の一瞬。誰が次に起こることがわかるでしょう?もしかしたら、私の後ろにもう一発ロケットがあり、修道院の上に落ちてくるかもしれません。

 こういうときは、人間からくる安心感などあてになりません。

 私たちは、「恐れるな!」という発語を必要としています。私たちは、神とその赦しに立ち返る必要があるのです。

 神様が自分の罪を許してくれたと確信したとき、もう死ぬことは怖くありません。赦しの中にこそ、永遠の命への扉を開く鍵があるのです。

 「恐れるな 私はあなたがたと共にいる!」

 主の存在こそが私たちの安心となり、心に平和を取り戻します。

 すべては心から始まります。自分の中に平和があれば、自分の外にある戦争はもう怖くありません。

・マリウシュ・クラヴィエツ神父(パウロ会司祭、リヴィウの共同体の責任者)

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