十字架の道行は、キリストの受難をしのび黙想する信心業で、聖なる十字架によって世をあがなわれたキリストの歩まれた道程を心に留めて祈りを捧げます。とくに四旬節中の金曜日に行うよう勧められています。
その起源は、古代・初代キリスト教の教父たちまでさかのぼり、中世をとおして高い人気を呼びました。
初めは、巡礼者がエルサレムまで巡礼の旅に出かけ、キリストの苦しみと死に関連した場所を訪ねていました。しかし、多くの人がそのような巡礼に参加することはできなかったので、時間がたつにつれて、イエスの生涯の最後の出来事を象徴する絵を要望するようになりました。12世紀までに十字軍の熱心さとご受難に対する信心の高まりとともに、そのような絵によって祈る信心が急速に広まりました。
1342年、聖地の記念堂の管理をフランシスコ会が引き受けたとき、修道士たちは、その当時、十字架の道行として知られていた信心業を普及する使命を感じていました。
多くの聖人が十字架の道行への信心を持ってはいましたが、イタリアのポートモリスの聖レオナルド(1676~1751年)ほど、この信心を広めた人はいません。フランシスコ会の司祭として聖レオナルドは黙想会の中で十字架の道行について説教し、イタリア全土の571カ所に十字架の道行を設置したと報告されています。
その後、道行の各留のタイトルと数については一致した意見はありませんでしたが、18世紀までには教皇庁によってその数が14留に決められました。
1958年には、ルルドの十字架の道行が整備された際に15留が設けられ、15留を加えた十字架の道行も行なわれるようになり、ヨハネ・パウロ2世を含む多くの典礼学者もこれを推奨しました。