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信心のすすめ

煉獄(義務)──信心のすすめ(23)

 「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です」(Ⅰヨハネ5,16)

 Ⅰ 煉獄をさけること。地獄さえも恐れないおろかな霊魂があります。多くの霊魂は、救われることをのぞんでいます。しかし、煉獄については、ほとんど、いかなる恐れも持っていません。なぜなら一時的な罰だからです。一方では、あらゆる努力をもって、死の床から天国に至るために、自分を清めている熱心な霊魂があります。煉獄の一時間さえも、もし各人がよく考えてみるならば、恐れを抱くほどの苦しみなのです。

 死のきわに、多くの人々は、両親や友人たちに、死者につぐないをしてくれるように嘆願します。しかし私たち自身にとっては、罪の完全なゆるしと、その罪のためにふさわしい罰のゆるしを得て、まえもってつぐないをはたす方が、はるかによいことです。その方法には、次のようなものがあります。すなわち、確固たる痛悔、心からのまことの回心、犠牲、ほどこし、祈り、良心の糾明、免償、霊的、肉体的な慈善活動など゛がそれであります。

 Ⅱ 煉獄を空にすること。煉獄の霊魂を祈りによって助けることは、すなわち、良心に対する義務であります。またしばしば恩人に対する感謝の行為でもあります。多くの場合、死者のための正義は、彼らに対するある種の義務であります。それらは、いつも霊的な愛徳なのです。

 死者のために祈ることは、すなわち、他者の苦しみに対する良いしかも敏感な良心のしるしでもあります。その行ないは、神のみ前に、非常に功徳となるものです。そしてまた、自分自身のためにも、煉獄にいる期間を短くすることを保証してくれるのです。

 大切な死者のために、つぐないをささげて助けること、すなわち、それは、神の栄光を帰することであります。なぜならそれらの霊魂は、天国において、永遠に主への賛美をささげるからです。天国において、大きなのぞみをもって今や待っておられるイエス・キリストは、それらの霊魂のために苦しんだのですから、彼の気に召すことでもあります。その行ないは、もっとも要求されている愛徳のわざでもあります。なぜなら、それらの霊魂は、自分のためには、何もできないからです。それゆえ、彼らの煉獄のひとやの扉を、他の人が開けてあげる必要があるのです。それは、私たちにとって、有益な行為です。というのは、それらの霊魂は、神学者たちの言うところに従えば、私たちのために祈ることができるのです。そして、彼らが天国に入ったとき、彼らの恩人たちのために、たえず祈りをささげるのです。

 Ⅲ 人々の救いを愛し、赦しを取り次いでくださる主よ、おん身のあわれみによりすがり、この世から去った私たちの家族の兄弟、親戚、恩人たちが、童貞聖マリアと諸聖人の取り次ぎによって、永遠の至福に至ることができるように取りはからってください。

・糾明───煉獄についての私の信仰は確かなものだろうか。この教義について、その存在について、その罰とつぐないの方法、煉獄の霊魂のためのミサの価値などについて、よくわかっているだろうか。煉獄を避ける配慮をしているだろうか。できるだけ、その教義を他の人に知らせようとしているだろうか。

・決心───ミサにあずかる時、私の意向の中に、死せる信者のための意向を加えるようにしよう。時々、墓地をおとずれるようにしよう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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