ナザレのイエスの生と十字架死に、神のこの世界に対する愛の語りかけを聞き取り、これに応えようとする生き方に連なるために洗礼を受けることは、個人的な事がらではなく、ともに信じる教会の集いに公に加わることを意味しています。
洗礼式は通常、入信の秘跡である洗礼—堅信—聖体というまとまりの中で行われますが、これは信仰の歩みの初めであり、生涯続くプロセスの第一歩となります。この第一歩のために、志願者には種々の出会いと関わりが与えられたはずですが、受洗後も彼らは信仰の先輩たちからの助けを必要とすることでしょう。代父母もその責任の一端を担います。
代父母は、成人の場合は本人から、嬰児や幼児の場合はその両親からの依頼を受けて立てられるのが普通です。この代父母の役割は何でしょうか。それは、受洗者のこれからの日常生活において、主に信仰上の事がらに関する相談に乗り、困難のときに助け、励まし、また信仰の喜びを分かち合うというようなことです。
このような任務は、『成人のキリスト教入信式』で代父母が果たす役割と動きにシンボリックに表現されています。まず、彼らは呼び出しに応えて進み出る志願者とともに前に出て、そのそばに立ちます。その場で彼らは志願者が行う悪霊の拒否と信仰宣言の言葉を静かに聞いています。そして洗礼の水が志願者の頭にかけられている間、代父母の手は彼らの肩に置かれます。また、清さのシンボルである白衣またはベールを受洗者にかけるのも彼らの仕事です。さらに、彼らは司式者に促されて復活のローソクから火を灯し、受洗者に渡します。こうして、この式が終わると彼らは受洗者とともに自席に戻ります。この式次第は、代父母の受洗者に対する喜ばしい任務を「儀式そのものの中でより明らかに」表すものとなっています。(1)
このようなわけですから、代父母には次のような条件が必要となってきます。それは、右のような任務を果たす適性と意思があること、原則として満16歳に達していること、受洗者の実父実母ではないこと、そして、すでに入信の秘跡を受けたカトリック信者であること、などです。(2)
また、代父母は「同じ教会の人」である必要はありませんが、同じ信仰の絆で結ばれていることが大事とされます。代父母は、洗礼式の際の単なる付添人ではなく、洗礼の恵みが開花することを助ける「真に教会的な任務」にあずかる人なのですから。(3)
(1)『典礼憲章』67番
(2)『教会法』874条
(3)『カトリック教会のカテキズム』1255番
回答者=市瀬英昭神父