さて、今回は聖家族の祝日を取り上げることにします。聖家族の祝日は、通常、主の降誕の次の日曜日に祝われます(ただし、主の降誕が日曜日にあたる年は12月30日に祝われます)。
ところで、「聖家族」というとき、皆さんはどのようなことを頭に思い浮かべるでしょうか。聖ヨセフと聖マリアの清らかな愛の関係。両親の愛情を一身に受け、言うことをよく聞いて、すくすくと育つ幼子イエス。おそらく、多くの人が思い浮かべる「聖家族」は、まさに一点の曇りもない、しかしそれゆえにどこか現実離れしたものになってしまっているのではないでしょうか。それが良いかどうかは別にして、福音書はこの「聖家族」の様子についてあまり多くを語りません。ナザレでの聖家族の生活については、イエスが12歳のときにエルサレムに上った出来事(ルカ2・41〜50)を除くと、実に簡潔な記述しか見られないのです。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(ルカ2・40)。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2・51〜52)。まるで型にはまった褒め言葉のような漠然とした記述で、実際に家族の生活がどのようであったかについては語っていません。
ただ、マタイによる福音書1〜2章とルカによる福音書1〜2章を素直に読んで思い描くことのできる聖家族のイメージは、決して平穏なものではありません。イエスは両親に内緒でエルサレムに残ります。このため、両親は三日もかかってイエスを捜し回ることになります。そのことを叱る両親に対して、イエスは両親の理解できないことを言い、悪びれることがありません。そう、両親はしばしばイエスのことを理解できませんでした(ルカ2・41〜50)。また、イエスがベツレヘムで生まれたために、ヨセフとマリアも、ヘロデ王が死ぬまでの長い間、遠くエジプトに避難しなければなりませんでした(マタイ2・13〜 15)。今回、取り上げた福音(ルカ2・22〜40)の中でも、シメオンが幼子イエスを抱いて祝福しながらマリアに言った言葉は、イエスもマリアも苦しまなければならないということ、しかも「剣で心を刺し貫かれる」ほどの耐え難い苦しみが襲うというものでした。
「聖家族」、そこにあるのは、決して理想化してしまえるような親子のかかわりではなく、子どもを理解できない親、子どもを持ったがために苦しまなければならない親の生きざまです。しかし、だからこそ聖家族は今日でも、真の家族の喜びが何であるのか、力強く訴え続けることができるのでしょう。
神は、イエスを通して救いのわざを実現しようとなさいましたが、この幼子イエスをヨセフとマリアの手にお委ねになりました。そして、イエスが長い年月をかけて両親に育てられることを望まれたのです。ヨセフとマリアは、時に自分たちが理解できないこともあったでしょう。イエスとぶつかることもあったでしょう。苦しみもあったでしょう。しかし、神の望みにしたがってイエスを育てました。ヨセフとマリアにとって、幼子イエスを育てることは、イエスを通して実現するであろう神の救いのわざを育てていくことだったのです。
ここにこそ、家族の神秘の一面が隠されていると言えるでしょう。きょうも、神は一人ひとりの子どもを通して救いのわざを実現しようとなさっています。一人ひとりの子どもに救いの使命を託し、その子をそれぞれの親に委ねられます。だから、親が神の望みにしたがって子どもを育てるとき、同時に救いのわざが実現しているのです。神の救いにかかわることですから、人間的にはうまく行かないこともあるでしょうし、理解できないこともあるでしょう。しかし、神が必ずこの子を通して救いのわざを実現してくださることを信じながら、育てていくこと。そう、「すべて心に納めて」いったマリアのように……。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう!」(ルカ1・45)。