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これってどんな種?

愛するという種 年間第31主日(マルコ12・46〜52)

 人から「愛される」というのは、とても心が和みますし、心が暖かくなってきます。そして、自分もその人を愛に応えたいと思ってしまいます。「愛する」ことの伝達がもっと広がるといいですね。

 きょうのみことばは、「最も重要な掟」についてイエス様が律法学者に伝える場面です。イエス様と弟子たちはエルサレムの神殿に到着され売買をしている人々を追い出され、それを聞いた祭司長や律法学者たちはイエス様をなきものにしようと思い巡ります(マルコ11・15〜18)。それからというもの彼らは、イエス様の言葉尻を捉えるために、イエス様の権威や納税について、死者の復活についての質問をしたのです。確かにそれらの質問は、彼らにとっても疑問があったのでしょうが、それ以上にイエス様を「なきもの」にするための悪意に満ちた質問でした。

 みことばは、「この議論を聞いていた律法学者の1人は」という節から始まります。彼は、他の律法学者がイエス様に悪意に満ちた質問とそれに応えるイエス様の話に耳を傾けていたのです。この律法学者はそれらの議論を聞いていく中で、何か感じ始めたのではないでしょうか。もしかしたら、イエス様に興味を持ち、純粋な気持ちでもっといろいろなことを知りたいと思ったのかも知れません。彼は、他の律法学者たちと違い、イエス様の話に耳を傾け、考えをめぐらしていたのでしょう。そして、彼が求めていた「すべての掟のうちで、どれが第一の掟ですか」と質問をします。

 律法学者は、律法を研究し彼らの中でもいろいろな問題について議論をしていたのでしょう。さらに、それらのことを人々に伝える役目も担っていたのかも知れません。ちょうど、私たちが聖書のこと、要理のことを神父様に質問をするように、彼らもユダヤ人たちから質問をされていたのかも知れません。律法には、613の掟がありましたので、律法学者もどの掟が重要なのか、どの掟を破ったら罪になるのかなど疑問に思っていたのでしょう。ですから彼は、そのあまりにも多い、律法のうちで「最も大切な掟」が何かを知りたかったのです。

 イエス様は彼の質問に「第一の掟はこれである『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』」と答えられます。この言葉は、申命記の6章4節から5節に書かれてある言葉で、ユダヤ人たちが子どもの頃から大切にして、暗記するくらいに身近に思っていた聖書の箇所でした。ユダヤ人は、この句が書かれた羊皮紙を祈りの時に身につけたり、また「メズーサ」というものに入れ、家の戸口や部屋の戸口につけていました。イスラエルに巡礼に行かれた方は、目にしたかも知れません。

 さて、イエス様の答えは、人々がよく知っていて、誰もが大切にしていた律法でした。この律法学者は、イエス様の答えを聞いて「あっ、それなら知っている」と思ったのかも知れません。しかし、イエス様が言われたこの掟は、私たちの身体と心を使い、また日々の生活を通して「神である主を愛する」ということでした。私たちは、このみことばを聞くとき、それはユダヤ人の律法で私とは関係がない、と思いがちですが、実は、私たちに対して言われているみことばなのです。私たちの日常の生活の中でどれくらい、このことを意識しているでしょうか。頭では「神である主を愛している」と思っていても「主」よりも「自分」を愛している時があるかも知れません。

 私たちは、【掟】と聞くと「何かをしなければならない。これはしてはいけない」と文字通り【規則】と思いがちです。しかし、イエス様が言われる【掟】は【愛する】というものでした。おん父は、私たちがどのような状態であっても、たとえ罪を犯していても私たちを愛されています。ですから、イエス様が言われる第一の掟は、【義務】ではなく、私たちを愛してくださっているおん父への【感謝】と言ってもいいのかも知れません。

 イエス様は、続けて「第二の掟はこれである。『隣人をあなた自身の愛せよ』この二つの掟よりも大事な掟はない」と言われます。私たちは、おん父ご自身によってかたどれ(創世記1・26)、おん父の【愛】も一緒に私たちの中に入っているのです。私たちは、周りの【隣人】の中にも私と同じようにおん父が造ってくださったということを忘れてしまうことがあります。イエス様は、私たちが忘れてしまわないように、「【隣人】を自分のように愛しなさい」と言われているのではないでしょうか。私たちは、他人の欠点がよく目についてしまい、そこを含めて【愛する】というのは難しいことですし、三位一体の主の力がないと不可能と言ってもいいでしょう。

 私たちは、イエス様がご自分の【死と復活】を通して私たち一人ひとりを愛してくださったことを知っていますし、そのイエス様に倣おうとしています。今一度、イエス様が身をもって示された【愛する】という【掟】ことを味わうことができたらいいですね。

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井手口満修道士

聖パウロ修道会。修道士。 1963年長崎に生まれ、福岡で成長する。 1977年4月4日、聖パウロ修道会に入会。 1984年3月19日、初誓願宣立。 1990年3月19日、終生誓願宣立。 現在、東京・四谷のサンパウロ本店で書籍・聖品の販売促進のかたわら、修道会では「召命担当」、「広報担当」などの使徒職に従事する。 著書『みことばの「種」を探して―御父のいつくしみにふれる―』。

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