序)
*第一の福音書の著者は使徒マタイと言い伝えられてきた。いちばん古いのはパピアスの証言である。紀元125年頃の書に記されている。この言葉は紀元4世紀のエウゼビウスによって引用されている。他には、イレネウス、クリゾストモ、ヒエロニムスなど、使徒マタイがヘブライ語(アラム語)で福音をしるしたと主張している。しかし、マタイ福音書は、ギリシア語で記されてものであり、アラム語マタイ本からの直接の翻訳ではない。著者は使徒マタイではないといわれている。
でも使徒マタイが紀元40~50年頃アラム語で福音書を初めて書き、今日のギリシア語マタイ福音書はいわばその直系の子孫で、その著者の名を受け継いだといわれる。これは一つの説だが…。
マタイ福音書は、当時のキリスト信者団体を対象にしたもので、最終編者はアンティオキアに住むユダヤ人でキリスト信者になったラビ、律法学者ではないかと言われている。
著者が対象とした読者は、ユダヤ教から改宗者、あるいはユダヤ教をよく知っていたキリスト信者。
1)マタイという人物
*福音書に登場するマタイ(銀行員、税吏の保護者)
*マタイはカファルナウム出身。この町は国境に近く、交通の要所でもあった。ガリラヤ分国の王ヘロデが居住し、ローマ駐屯軍の基地でもあった。
マタイのラテン語の名前は、「プブリカヌス」で、「徴税人」の意味。
*使徒マタイはアルフェオという人の子であり、税吏の職業をしていた。往来する商人の荷物を調べ、税金を徴収するうちにイエスに出会ったであろう。
*当時の税吏は評判がよくなかった。だれでも税金を払いたくないし、パレスチナの税吏は特に嫌われていた。何十年前からこの国を征服し、ユダヤ人を圧迫しているローマ人のために税金を取り立てる人は裏切り者とみなされていた。また税金を上乗せしていて、その一部を自分のふところに入れていた。そのため、詐欺、泥棒の汚名を着せられ、汚れた人、罪人として軽蔑されていた。(カラバッジョの有名な絵を参照)
*マタイ9・9~13:マタイの召命
イエスから「わたしに従いなさい」と言われる。
「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。『わたしが望むのは犠牲ではなく、憐みである』ということが何を意味するか、学んできなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタ9・12~13)
*聖霊降臨後、弟子たちは一心に宣教活動に従事した。マタイも他の人と同様に、エルサレムにとどまり、時には地方にも宣教に出かけたであろう。
*マタイは旧約聖書で預言されていたことを引用して、キリストが実現したことを書いていった。
*マタイは福音書を書いた後、ユダヤを去って、エチオピア、ペルシャ、マケドニへ行って宣教したといわれる。エチオピア国王の一人娘イフジェニア王女は、マタイが説くキリストの教えに感銘を受け、その模範に倣うため、華やかな宮廷での生活に別れを告げ、他の仲間と一緒に貧しい生活を送ったといわれる。その後、ヒルタコが王位につくと、イフジェニアに心を寄せ、王妃にしようとしたが、きっぱりと断られた。王は、これをマタイの陰謀だと考え、マタイを逮捕し、槍でその一命を奪った。その聖遺物は十世紀に南イタリアのサレルノに移され、サレルノの町で崇敬されている。
2)マタイ福音書
*マタイ福音書の構造は、フランシスコ会訳の分冊を参照(24頁)
出来事の話が対照的な位置にあり、第一垂訓から第五垂訓まであり、第一垂訓と第五垂訓、第二垂訓と第四垂訓がそれぞれ対照的になっていて、第三垂訓が中間地点にある。この第三垂訓は、神の国の秘義についてのたとえ話からなっている。すなわち、神の国は始めは小さく隠れており、徐々に成長し、迫害を受けるが、最後にはすべての敵を征服し、輝かしい勝利をおさめる。
*イエスの生涯の物語はマルコ福音書をもとにし、その中に多くの題材が挿入されている。そのほとんどはイエスの説教で5章の講話からなっている。またマルコ福音書の95%がマタイ福音書に入っている。
*マタイ5章の山上の説教は有名な箇所。