「ラ・セラ・ペケニアは(印刷工場の)ドアを閉めるのが、その役目であった。入口の門に鍵をかけて、機械部屋のドアが閉められているかどうか調べに行った。途中まで行って引き返した。あのドアが、救いのおもな安全弁になった。損害は二、三千リーラにのぼった。印刷工場はまっ黒くなって盗賊の巣くつみたいであった。今日は何かの片付け作業をする。ガゼッタ紙を出せるかどうか、パンフレットを印刷するかどうか、火災保険が得られるかどうか、わからない。すべては、神のみ手の中にある。 実りは?
昨日、敬愛する父は、私たちのより大きな善益のためにすべてをなし、許してくださる神のみ摂理に全く信頼を置くようにと、私たちに勧めてくださったる彼はこう言った。『(これは)一つの試練である。神は私たちを愛しておられるので、試練を止めない。私たちは神に感謝しよう。本会がこれほどまでにしっかりした土台をすえたことも神に感謝しよう。』
それから『コットレンゴは三回火事にあった。私たちは一回か二回だけしか火災にあっていない。若者も家族も大きな災難を通して、何か学ばねばならない。私たちももっと勤勉になるため、まず学ばねばならない。すべての災難は、決して避けられるものではないが、せめて私たちのほうでは、その原因を取り除けるだろう。』
それから今朝、彼は黙想で、こう言った。『私としては、しばらくしたら、次のことを言えるようになりたいものである。すなわち、本会で、火事がなかったとしてら、精紳のこの改めもなかなったであろう。実に火事は浄めるものである。それは一つの試練である。悪魔は私たちを、ひどく憎んで、私たちの修道院を残らず灰にしてしまいたいと思っている。これは一つの教訓である。母親は気まぐれな幼児が倒れるのを放っておくのは、自分の手をつかませるためであるが、この母親と々ことを神も私たちになさる。
私たちは自分自身に信頼するゆえに、おそらく神から離れていたからである。それで仕事のことでも損害のことでも決して気を落としていけない。仕事のことなら、別に心配しなくてもよい。組み版をしようが、物を片付けようが、著述しようが、保険会社と交渉しようが、私たちは神のしもべであるから、別にかまわない。損害は、たとえ印刷工場が焼けおちたとしても、主にとって大したことではない。神はたくさんお金を持っておられる。それに、ましてや、どうしようもない損害、それほど重大な損害でもなかったからなおさらである。 次に二つの決心。
1、わたしたちは、すべての事に、ますます勤勉になること。
2、神にいっそう一致して、私たちには何にも信頼を置かないこと。次のことを神は望んでおられる。つまり神に信頼すること。』」
この火事については、司教座聖堂の主任司祭カノニコ・キエザ神父も、一九一八年の降誕祭の日付で、教区日記の中に、こう書いている。「伝染病のゆえに神学校は、いまだ開校しておらず、神学生たちがいないので司教座聖堂では司教ミサはなかった。
すでに何回もしていた通り、神学生たち(20人)の変わりができるはずだったアルベリオーネ神父の青年たちは、御降誕の夜(三時)に印刷工場に燃え広がった火事で、その日もずっと働かねばならなかったので、手伝いができなかった」と。 火事が終わったその日に、アルベリオーネ神父は、煙で黒くなった印刷工場、窓ガラスがめちゃめちゃにこわれた印刷工場の前に立っていた。これを見たある教会の主任司祭モロネ神父は、災害のお悔やみを述べた。するとアルベリオーネ神父は、大変落ち着いて、こう答えるのであった。「これは、小罪に比べれば、大したことではありませんよ」と。
アルベリオーネ神父とその若者たちは、焼かれても踏まれても雑草のように力強く再建に乗り出した。今度は借家ではなく、自分たちの修道院と印刷工場の建設という長年の夢の実現にかかったのである。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。