アルベリオーネ神父は、第一次大戦の不況のさなかに、できることならば何でも自分の手でという自給自足のかまえで印刷工場のかたわらに活字製造所、印刷インク製造所、製紙工場、電気工場なども建てた。
それから「ガゼッダ・ダバル」をはじめ、「司祭の熱誠に協力する女性たち」という本やパンフレットを出版しはじめた。
また、子供向けの探偵小説、冒険物語、聖書の中の人物とか聖人を主人公にした歴史小説などを色ずりの表紙をつけて発行した。
また当時、新約聖書を一般信者に読ませない風潮があった。聖書の自由解釈を教会当局が心配していたからであろう。むしろカトリック要理を教える方を徹底していた。
そんな中でローマには「サン・ジロラモ」という財団法人ができ、一般の人にも聖書を読ませようとしていた。しかし、一年の販売部数は二万そこそこである。
アルベリオーネ神父は、これを見て、「聖書の普及は二十万でも二百万でも足りない。みんなが手もとに持たなければならぬものだから、私たちが出版しましょう」と。聖パウロ会員たちにはっぱをかけた。
アルベリオーネ神父の考えによると、「出版物によって伝えるべき教えは、聖書、聖伝、および教会の教導の純粋な源泉から汲み取った信仰、道徳、信心に関するものである。」
実際に神父は、福音書を最も重要視し、これを修道院の聖堂だけでなく、玄関口にも、応接間にも、事務所にも、書店にも、印刷工場にも、ページを広げてそなえつけさせた。
神のみことばが、全世界のすべての人に伝えられ、救いを得るようにという神のみ心を、いつも実行しようと心がけていたのである。
それからコスタの級友でフランシスコ会のピントリ神父に新約聖書をイタリア語翻訳させた。これがわかりやすい、きれいなイタリア語であったので、人びとに喜んで読まれた。
聖パウロ会の会員たちが夜を日についで印刷し、製本し、さらに販売係がイタリア全土を回って新刊書の宣伝をし、注文を取り、発送係が手回しよく発送した。
アルベリオーネ神父は「福音の日」を設け、聖体訪問の間にに三回の説教、みことばの朗読、聖体降福式を行った。その説教において次のことをよく強調していた。
「聖書の普及は、私たちの使徒職全体の中でも、まず第一になすべき、最も重要な課題であるはずだ。
私たちは、みことばを通して、みことばの中に生まれた。だから、私たちのすべての書籍、フィルム、放送、レコードなどは、常に神の書物、わけても福音書の増幅、こだま、支持、反射となるように気を配らなければならない……。
……機械は私たちの説教台であり、印刷所は教会の小祭壇である。祭壇の上では聖体にこもるイエスが増加する。印刷所ではイエスの真理が増加される」と。
この精紳をよく理解して、若者なりに出版の使徒として誇り高く、信心に、勉強に、仕事に全力を尽くし、聖者の面影を世に残しながら、若くしてこの世を去ったマジョリーノ少年のことを次に述べてみたい。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。