アルベリオーネ神父はひ弱い体のゆえに徴兵検査では不合格であった。しかし第一次大戦が始まってからは、イタリアも補充兵の確保に迫られて、徴兵検査ではねられた者も、再び体力検査を受けよとのことで招集された。アルベリオーネ神父は、この再検査でも不合格であったる彼は戦場で戦うより、衛生兵として勤務するより、もっと優れた使命、すなわち諸修道会の創立とその指導、マス・コミ使徒職による人びとの救霊という使命に召されていたのである。聖パウロ女子修道会のシスター・クレリア・ビヤンコは、当時の情況を、こう述べている。
「私たちは主がアルベリオーネ神父さまを、私たちの間に、残してくださいますようにと、修道院で、たくさん祈っていました。私たちは、その願いが聞き入れられればサン・ダミアノ教会(アルバ市の教会)に大祭壇の最上段の大きなじゅうたんを寄付する約束をしていました。
……ある日、私は書院に使っていた一階の部屋に一人でいました。するとドアが開いたとたんに、一人の若者が入ってきました。灰色の服をつけ、ふくらはぎまであるズボン(スキー用のズボンみたいなもの)を着け、ひさしのついた帽子をかぶっていました。「印刷学校」の生徒のような格好をしていました。その若者が私を見て、ほほえみながら言うのです。『テレザに伝えてください。私は兵隊に採られなかったと』。若者は再びドアを閉めて行ってしまいました。私は走ってドアを明けに行き、あの人は一体誰なのかしらと確かめようとしたしたが、もうその方は別の道に曲がっていました。その間にテレザ・メルロがやって来ましたので、私はその事を話ました。すると、テレザは、びっくり仰天し、嬉しそうに私に言いました。『あなたは、わからなかったのですか? 神父さまでしたのに!』
私たちは修道院で直ちに、じゅうたんつのりを始めました。戦争の始まった当時の二年間、軍服を縫っていたころの余り布を集めて……」
この時、アルベリオーネ神父はいっしよに検査に行ったフランチェスコ・グロッソ(当時は神学生)は、その時のことをこう語っている。「私は徴兵検査のため、アルベリオーネ神父さんは、再検査のため、いっしょにアルバの兵営へ参りました。そこへ行く途中、私はこう言うのです。『ミゼレレ(主よ、あわれみたまえ)をとなえましょう。物事がうまく行かなければ、それは、私たちの罪のゆえですから』彼は兵役免除になりました。骨と皮だけでしたから兵役免除になるほかなかったのです」と。
この兵役免除で実際アルベリオーネ神父は、次に述べるようにパウロ家を導き育てることによって、またマス・コミ使徒職によって兵役に勤めるよりも何倍も社会国家の健全な建設に貢献したのである。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。