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信心のすすめ

聖ヨゼフ〜摂理の聖人〜──信心のすすめ(15)

 修道院と修道会に、長上と教育される人々の間に、イエスとヨゼフの間にあったと同じような親密さと親切、ならびに協力があるように、ヨゼフに乞い願ってください。

 教育者である司祭と教育を受ける人との間に、聖なる友情、意向の一致・協力があり、よりよい養成のために、力を合わせるようにならなければなりません。一方では、父親はあらゆる配慮をもって子どもが、英知と年齢と恩寵において、善良な修道者、司祭を養成するまで、成長させたいと思っていますし、他方、子どもは、父に従いながら、すべてを会得し、すべてを学び、すべてに信頼し、その聖なる美しい召命に邁進するために、常に、すなおで敬虔な子どもでありたいと願っています。

 友情は、聖師とその弟子、つまり将来の使徒となる人々の間にあったものにならうべきです。「もし私が、命じたことを行なうならあなたがたは私の友人である。もはやあなたがたをしもべとは呼ばない。なぜなら、しもべはその主人のなすことを知らないからである。しかし、私はあなたがたを友と呼んだ。それは、私の父が私に与えてくださったことを、あなたがたに知らせたからである」(ヨハネ14,15)。

 形成し、高める友情は、兄弟たちをつくります。一つの宗教においては、いつの日にか、父と子は、兄弟たちの名前で互いに呼び合うからです。友情は、理解させるのではなく、それを見て直観されるものです。そのためには、『使徒の養成なるイエス』もしくは『その修練者の師であるイエス』という二つの本の、少なくともいずれかを読むとためになるでしょう。この師の聖なる教育を模倣しなければなりません。ノセンゴ教授のいずれかの本も案内のために役立つでしょう。

 聖書は友情について語り、それは貴重な宝だと言っています。たとえば、ダヴィドとヨナタンが結んだ友情があります。二人のたましいは、互いに信頼し合い、ささえ合い、はげまし合っていたのです。

 聖ドン・ボスコは、彼のもとに来る若者たちに、「友よ」とあいさつしたものです。それゆえ、「おまえは、私の友がだれであるか知るまい」と、ドン・ボスコのいたずらっ子を悪くあつかった香部屋係りをしかりつけました。長上の態度をとることは、恐れを呼びお越します。親しい態度、品位あふれる親密さは、聖なる友情をつくり出します。

 教育は、たんなる教養でも、また規律を心得させるだけのものではありません。……まったく新しい存在に仕上げることです。

 聖ヨゼフは、地上において、父なる神の父性を託身されたみことばに示されました。聖ヨゼフは、養子なるおん子に対して、全き尊敬と愛にみちていたのです。おん子に対する自分の義務をも知っていました。イエスは、子として、ヨゼフに対して深い尊敬と、ふさわしい愛と、信頼と、自発的なすなおさを示されたのです。聖ヨゼフはマリアとともに、世界のために唯一の師、司祭、犠牲となるイエスを準備させなければなりませんでした。イエスは、完全な献身をもって、おん父のみ旨、すなわち、唯一の目的、したがって親切な協力の完全な遂行を目ざしていました。

 親密さ。告白もしくは、告解の秘跡に付与されている指導を語っているのではありません。むしろ私は、内密で、協力的で、事実な合意について語っているのです。また、聖書的なことばと模範に従ってとらえられる友情について語って要るのです……。倫理的な指導があります。それは教育者と弟子の間にもたれるたえざる交わりであり、親密な生活であります。それは、非常に多くのなぐさめのみなもとです。そして指導は、成功率を高いものにしてくれるのです。

 ひとりびとりを照らし、勇気づけ、注意し、喜ばせなければなりません。一般的な説教は必要です。特殊な配慮は、よりよい効果をもたらします。そのように助けを欠かしてはなりません。

 正しい判断を持っている場合、その生活は、まっすぐに完全な良識をもって進んでいきます。

 わかっていただきたいのですが、このために、司祭は、道・真理・生命でなければなりません。……

 しかし、信頼は、命令されたり、要求されたりするものではありません。その信頼は、「解きには強く、ときには甘美に」常に作用し、善良なもの、注意深いものであることを示しながら、得られるものです。弟子に、暴力や恐れ、不相当な依頼やいかなる方法によっても強制するのではなく、彼らが、何らの召請もないのに、自分から進んで打ち明けるように教育されなければなりません。この配慮は、健康、勉強、使徒職、共同生活、落胆などかに来る困難のときに示してください。本当に、弟子たちの善のために、たとえ、犠牲があっても、世話する人は、尊敬と、信頼をよせられるものです。利己主義は反発を買うものです。霊魂を照らすこと! よい機会を利用し、また、特に典礼や祝日やイエスがたましいに語りかけ、霊魂がイエスを感じる月の黙想の機会を利用して、イエスとマリアに対する聖なるほのおを彼らにともにしなさい。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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