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信心のすすめ

天使について──信心のすすめ(17)

 天使はすべて、霊的な被造物で、良い天使と悪い天使があります。

 天使について旧約聖書の中では、創世の書、出エジプト記、エゼキエル書、イザヤ書、民数記、ユディト書、判事の書、ヨブ記などが語っています。もっと広範にわたってトビア書、ザカリヤ書、マカベオ書、詩編が語っています。

 新約聖書においては、一位の天使が洗者ヨハネの誕生をつげるためにザカリアに現われ、神のおん子の託身をつげるためにマリアに現われ、また、数回にわたって、ヨゼフにあらわれました。ご誕生にあたっては、天使たちは、「グロリア」を歌いました。こころみののち、天使たちは、イエスに仕えました。天使たちは、ゲッセマニの園でイエスをなぐさめました。数回にわたり、キリストの復活をつげています。天においては、天使たちは十二軍団以上があります。子どもたちの天使は、常におん父の顔を見ています。罪人の回心のために喜んでいます。使徒たちは、イエスの頭の上をのぼりおりする天使たちを見たにちがいありません。審判の日、天使たちは、善人と悪人を分けるのです。イエス・キリストは、その天使たちの前で、義人に栄光を与えるでしょう。

 使徒行録において、天使は、使徒たちの牢獄の門を開け、一位の天使は、ペトロを牢獄から解放し、一位の天使はヘロデ王を打ち、一位の天使は、難船の危険にあるパウロを助け、一位の天使は、助祭フィリッポに語っています。

 黙示録において、聖ペトロの第一の手紙、ならびに特に聖パウロにおいて、天使たちのその職務と権威と命令がしばしば思い起こされます。純粋霊である天使たちは、霊肉からなり、神より無限に広い人間にまさる、つくられた存在の秩序に加えられています。

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 天使は、神の偉大さと属性をあらわすものです。「特に、各天使は、この無限な存在者のある段階と、特に、神への聖別奉献をあらわすものである。ある天使においては力を、他の天使においては愛を、他の天使においては堅固さを、というふうに。各天使は、その創始者なる神の模倣である。各天使は神をおがみ、似せてつくられた完全さにおいて神を賛美する」(オリエー)のです。それゆえ、天使において私たちは、神自身をほめたたえるのです。天使たちは「輝くかがみであり、純粋な水晶であり、光り輝く玉であり、それは、この無限の全体であるものの堅固さと完全さをあらわすものである」(オリエー)と言われています。「この子どもたちの天使は、常に、天父の顔を見ている」のです。

 天において、天使たちは、彼らの礼拝をキリストとともに行なうことにより、その礼拝により大きな価値を与えることができるのを喜びながら、神なるみいつを賛美し、礼拝し、栄光あらしめるために、仲介者なるイエス・キリストと結ばれています。「あなたのみいつのために、天使はほめたたえ、統治者を礼拝し、権能はふるえる」。それゆえ、祈るためにイエス・キリストに私たち結ばれるとき、天使とも結ばれ、彼らとともに調和ある楽団を形づくるのです。それゆえ、オリエーとともに「天のすべての守護の天使を動かす力を持っているすべてのものは、われらの賛美をおぎない、自然と恩寵の世界において受けたお恵みのために感謝する」と言いうるのです。

 このことから、永遠の幸福に私たちを参加させることをのぞみながら、彼らき、イエス・キリストとともに、イエス・キリストによって、私たちの救いを配慮しているということが帰結されます。それゆえ、彼らは、私たちの善益のために、神が、彼らに委ねた使命を愛をこめて受け入れているのです。サタンに勝利をおさめましたので、彼らは、この恐れるべき敵から私たちを守ることができるのです。さらに、私たちの祈りをささげてくれるのです。そして彼らは、自分たちの嘆願をつけ加えることによって、その祈りをもっと価値あるものにしてくれるのです。とくに、私たちの死のきわにそうするのです。

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 良い天使は、この現世の生活を送る間に人間を守るようにと、神から命じられています。教会は、私たちに、「主よ、おん身の言うべからざるみ摂理によって、私たちを守るために、おん身の天使をつかわすことをよみしたもう。おん身に祈る人々を、彼の保護によって守り、彼らとともに、永遠に喜ばせたまえ」と祈らせます。天使のミサの書簡で(十月二日)私たちは、天使たちに適応されたものとして、ヘブライ人たちに言われた出エジプト記の次のことばを読みます。「私は、おまえたちの前に天使を送り、道で守らせ、私の準備したところへ導こう。彼をとうとび、そのすすめを聞き、彼に反抗してはならない。私の名は彼とともにあるから、彼は、その反抗をゆるさないであろう。もしおまえたちが、彼の声に従い、私が語ることをすべて行なうなら、私はあなたがたの敵の敵となり、仇の仇となるだろう。私は天使は、あなたがたの前を、歩むであろう」(23,20-23)

 良い天使は、神の代理者です。聖パウロは次のように言っています。「天使はすべて、神の奉仕の霊であり、救いの世つぎを受けるべき人々のために、役者として遣わされたのでありませんか」(ヘブライ1,14)と。実に詩編九十では、次のように言われています。「その天使をあなたにつかわし、あなたのあらゆる道において、あなたの守る」と。イエス・キリストも、「彼らの天使は、常におん父の顔を見ている」(マタイ18,10 )と言われました。

 守護の天使の祝日は、教皇パウロ五世によってはじめられ、教皇クレメンス十世によって十月二日に定められ、全教会に行きわたりました。神の良善さは、私たちの助けるために、その天使をつかわしています。それゆえ、聖ヒエロニムは次のように言っています。「一人のたましいの品位は偉大なものである。そのたましいの必要性から、その霊魂を守るために、天の使いが当てられている。」と。

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 守護の天使は、1肉体的な危険から私たちを遠ざけてくれます。それを予告したり、取りのぞいたりしながら、2しばしば、物質的な事柄において、特に、それが霊魂のために有益であるならば、私たちを助けます。3悪魔と戦います。誘惑しないように、また私たちがそれに打ちかてるようにと。4善行に邁進させるために、聖なるインスピレーションを感じさせます。5私たちの祈りを、彼らの祈りに合わせて、神にささげてくれます。6功徳の機会を配慮し、死の際には、私たちにつきそってくれます。

 教父たちと教会と聖書の教えは、神と私たちの関係を教えています。私たちは、彼の子であり、イエス・キリストのメンバーであり、聖霊の神殿です。「私たちは神の子であるがゆえに、彼は私たちに、天上の個人教師である君主を与える。私たちはイエス・キリストのメンバーであるゆえに、彼に仕える同じ霊たちが、私たちのそばについていることを臨んでいる。私たちは聖霊の神殿であるがゆえに、私たちが天使を持ち、私たちの教会についてそうであるように、彼に対する尊敬が広く行きわたることをのぞんでおられる……。また、神は、勝利の教会と戦う教会の間に立つ天使があることをのぞんでおられる」。守護の天使は、私たちが天国においてだけ、すべてを知ることのできる貴重な奉仕を私たちにしているのである。

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 守護の天使に対する私たちの義務は、聖ベルナルドがうまく表現しています。「天使ということばは、何と多くの尊敬、敬信、信頼をあなたに霊示してくれることだろう! 尊敬、なぜなら、私たちは彼を尊前にいるからである。彼の慈愛のゆえの敬信。信頼、なぜなら、私たちを守ってくれるからである」。

 尊敬。なぜなら、天使は純粋、聖、常に現存しているからです。「いかなる家もしくはいかなる隅においても、天使のために尊敬を持っているように……そして、私の前であなたが行なわないことを、彼の前でもしてはならない」。

 信頼。守ってくれるからです。「彼は、あなたとともにいるだけでなく、あなたのために、あなたを守り、助けるために、現存している……。忠実であり、賢明であり、力あるものである。それなのに、なぜあなたは恐れるのか」。

 敬信。すなわち愛=彼の慈愛のために。彼は友であり、恩人であり、兄弟であり、かつまたいつの日か天国において、ともに世つぎとなるものです。「それゆえ、私たちは、敬信を持ち、感謝すべきである。彼を尊敬し、彼の愛に応じよう」。

 博士たちは、教会が守護者として大天使ミカエルを持つようにと主張しています。彼は会堂の守護者ですが、その会堂に教会がとってかわります。たしかに、守護の天使が国を守り、諸教会を守り、修道家族を守るということは、教えてよいことであります。

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 天上における聖ミカエルとその使い、ならびに高慢なルチフェルとその謀叛の天使の間に行なわれ戦いは、地上においても続けられています。ますます頑強で、常に新しい手段によって。聖パウロは私たちに次のように警戒しています。「兄弟たちよ、主において、その勢力と力によって自分を強めなさい。悪魔のくわだてにはむかうために、神の武具を身につけなさい。われわれが戦うべきは血肉ではなく、権勢と能力、この世の闇のあるじ、天空にある悪霊です。……悪の日に抵抗できるためです」(エフェゾ6,10-13 )と。悪魔はたえざる誘惑にかりたてます。さらに、悪魔にとりつかれることがあり、悪魔的な魔術があり、降神術があります。

 すべての悪の誘惑者に対して、彼らが、地獄にとじこめられるようにと、王座、権威、統治といった天のあらゆる天使たちをたえず呼び求めるのはふさわしいことです。戦うすべての人が、強くあるようにと祈る必要があります。誤りと悪徳と悪魔の支配が打ち倒され、童貞聖マリアと良い天使によって、イエス・キリストの王国が来るように祈る必要があります。

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 私たちは月の第一木曜日を守護の天使にささげます。しばしば、特に、必要な時に、「天使に向かう祈り」を繰り返しましょう。模範とことばと出版によって、忠実な友の間でも、もっとも忠実な天使に対する真の信心を広めましょう。十月をも彼にささげましょう。私たちが得た霊的物的恩恵は、無数にあります。私たちは特に、天国において、それを感謝するでしょう。

 特に、霊魂を照らし、誘惑を予防すること。真に永遠に、「勝つか死ぬか」。生きる間、大罪によってまた召命を失うことによって、「勝つか死ぬか」するのです。

 悪魔は普通、罪の間接の原因です。知性と意志に、直接に働きかけることができないとは言え、感覚によって知性を誤りにみちびき、心に働きかけて、意志を弱らせるまで、情欲をかきたて、彼は、記憶、想像、感覚的な欲望に働きかけうるのです。

 多くの誘惑は、肉欲(怠惰、貪食など)と世俗(金言=モットー、模範、観劇、読書など)からやって来ます。しかし、誘惑がひんぱんで、強力で、頑強である場合、少なくとも、それらの誘惑の一部に、悪魔が介入しているとも考えられます。

 「警戒して祈れ」。機会からにげること。五官を慎むこと、内的にも慎むこと、しばしば告解し、熱心に聖体拝領をすること。使徒の女王マリアに対する信心とよい霊的指導を受けること。

 守護の天使に対する信心は、子どもたちにとって、たやすく理解され感じられるものです。その信心は、どれほどの召命をお越し、強め、その破局から救い、目的地にみちびいてくれたことでしょう。また、その信心は、私たちの使命と使徒職に何と有益であることでしょう!

 天使を敬うことは、神ご自身を敬うことです。天使は、地上でその代理者であります。神によりよく栄光を帰すために、彼と一致しましょう。

 ローマの聖フランチェスカについて、聖務日課は次のようにのべています。「人類の敵は、いろいろな手段と攻撃をもって、彼女の聖化の生活をやめさせようとあらゆる努力をしていた。しかし勇敢な彼女は、いつも悪魔を打ち負かしていた。そして、守護の天使の助けによって、栄光ある勝利に導かれた。彼女は、天使と親しく語り合っていたのである」と。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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