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信心のすすめ

地獄──信心のすすめ(20)

 「人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ 13,41-43)

 地獄とは、大罪を持ちながら、死んだ人々の行く所であり、罰された状態です。

 地獄の存在、その永遠性、罰は、キリスト教のもっとも恐れるべき教義です。それは非常な恐れを呼び起こす真理であり、自分が救われるために、生活を変えるように多くの人を仕向けた真理でもあります。聖師は、聖霊に対して罪を犯す人は永遠に救われないであろう、と教えました。

 神のみことばをこばみ続けたユダヤ人たちは、外のやみに投げ入れられたかもしれません。つまずきを与える人は、消えないほのおに焼かれるかもしれません。緋色のマントを着ておごり暮らしていたお金持ちは、死後にほうむられました。隣人に対する愛をこばんだ人は永遠の火に入れられるでしょう。

 「もしあなたの手があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てよ、火は消えず、うじ虫が死なない地獄に両手で入るよりは、片手で天国に入る方がましだからである」(マタイ 5,30と18,8)

 地獄の第一の罰は、神を見れない、ということです。

 イエス・キリストは、「悪を行なう者たちよ、私から離れて、永遠の火にはいれ不正を行なって者たちはみんな去れ」(マタイ 25,41 )との最終的な宣言を、呪われた人たちに言うのです。

 罪人は神から離れました。「罪は神に反するものです」。そのような状態のまま永遠に移った者は、神に近づくことはできません。

 この罰は、他の罰の中でももっとも恐ろしいものであります。実に、最高の善である神を失うことだからです。永遠の世界に入った霊魂は、あらゆるのぞみを具体化したいという一つの望みしか持っていないのです。そしてその望みは、決して満たされることはないのです。超自然の世界にまで高められた人間は、神への不可抗的な傾きを持っています。

 しかし、地獄においては、この傾きは永遠に相反的なものなのです。霊魂は、神に向かって進もうとするのに、神からこばまれるのです。そしてひとり苦悩するのです。罰が重ければ重いほどそのあこがれは強いものであり、罰も重いものだったのです。

 私の神よ、私は今、「罪人はその立場をわかり怒りくるう。むしろ怒りのはげしさのために高ぶる。そして怒りのために歯ぎしりする。神をみたいというそののぞみは、決してみたされはしない」(詩編 3,1)というあなたの威嚇をわかります。そして「私はこの火に苦しめられている」(ルカ 14,24)と地獄から永遠のなげきをあげている人々の苦しみを黙想します。

  • 糾明───私の良心は、考えやことば、行ないや怠りによって、何か大きなあやまちを犯したことのために、私を責めていないだろうか。私は罪を犯し、永遠の罰に価いするような危険や機会に、自分の身をさらしているのではないか。
  • 決心───私は救われたのだから、あらゆる罪の機会をさけよう。

『信心のすすめ-自己の聖化と人々の救いのために』アルベリオーネ神父(サンパウロ・1974年)
※現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。

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