この福者は、わたしたちパウロ家族(聖パウロ修道会、聖パウロ女子修道会、師イエズス修道女会など10の会)に固有の典礼暦で、10月19日に祝われます。パウロ家族の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父の忠実な協働者であり、パウロ家族のメンバーの中ではじめて福者とされた人でもあります(1989年に列福)。
ティモテオ・ジャッカルドは、1896年に北イタリアのナルゾレという町で生まれました。この町は、聖パウロ修道会創立の地、アルバ教区に属していました。与えられた名前は「ジュゼッペ」(=ヨセフ)。ちなみに、「ティモテオ」(=テモテ)は後に修道名として受けることになる名前です。創立者アルベリオーネ神父は、パウロの忠実な弟子であり、協働者であったこの聖人の名前をジャッカルドに与えることで、彼の使命を明確なものにしようとしたのでしょう。
ジャッカルドがアルベリオーネ神父と出会うのは、1908年、ジャッカルドが12歳のときのことです。当時、アルベリオーネ神父は、アルバ教区の神学校で教鞭をとりながら、毎日曜日、ナルゾレの小教区の手助けをしていました。アルベリオーネ神父は、ジャッカルド少年のすぐれた資質と深い信仰、司祭職への召命をすぐに見抜いたようです。アルベリオーネ神父の指導や勧めもあって、ジャッカルドは1912年にアルバの神学校に入学しました。
決定的な転機は、1917年に訪れます。アルベリオーネ神父は、すでに1914年に聖パウロ修道会を創立し、印刷・出版という新しい手段による福音宣教を推し進めるために、アルバの神学校を去っていました。ジャッカルド神学生は、その後もみずからの召命について識別を続けるうちに、この新しい福音宣教のわざに招かれていることを強く意識するようになります。こうして、ジャッカルド神学生は、アルバの神学校を出て、生まれたばかりの聖パウロ修道会に入る許可を、アルバの司教に願い出ます。当時の聖パウロ修道会は、アルベリオーネ神父が集めた少年たちの集団で、まだ修道会の体をなしてはいませんでした。周囲の目は、司祭が印刷・出版をとおして宣教を行うという考え方に対しても、また未成年たちを集めて働かせるという現状に対しても、必ずしも肯定的ではありませんでした。当然、目前に控えていた司祭職への道を放り出して、まだ先の見えていない集団の中に身を投じることは、強い確信と大きな勇気を必要としたことでしょう。しかし、ジャッカルド神学生は、自分の召命を信じて、アルベリオーネ神父のもとに駆けつけたのです。
それ以来、ジャッカルドはアルベリオーネ神父の思いを最もよく理解し、共有する協働者として、働き続けます。常に、アルベリオーネ神父に忠実であり、この新しい宣教のわざを身をもって生き抜き、しかもそれが神の計画、神のわざであることの意味合いを、パウロ家族のメンバーたちに教え続けるのです。
聖パウロ修道会に入ってから2年後、ジャッカルド神学生は司祭に叙階されます。創立者アルベリオーネ神父は、修道会を創立したときにすでに司祭だったので、ジャッカルドは聖パウロ修道会の中ではじめて誕生した司祭ということになります。つまり、この新しい宣教活動をみずからの「司祭職」として果たすための司祭が、教会の承認のもとに誕生したのです。創立者アルベリオーネ神父にとって、司祭ジャッカルドの誕生は、聖パウロ修道会の使徒職が真の意味で司祭的わざであり、神のわざであること、司祭が口頭でもって行う福音の告知や説教とまったく同じ価値をもつ、新たな司祭職であることの教会の側からの承認として理解されたのです。
アルバで生まれた聖パウロ修道会とその宣教活動は、次第に大きくなっていきます。アルベリオーネ神父は、ローマで活動を始めるときが来たことを感じます。そして、その責任をジャッカルド神父にゆだねます。1926年のことでした。「責任」と言っても、すでに場所などが用意されていたわけではありません。まさに何もないところからの出発、貧しい馬小屋からの出発でした。しかし、ジャッカルド神父は、キリストの代理者である教皇のすぐ近くで、出版による新しい宣教活動を始めることができる喜びに満たされて、この務めを忍耐強く果たしていきます。
その10年後、アルベリオーネ神父はジャッカルド神父をアルバに呼び戻します。大きく成長したアルバの母院の責任を任せるためでした。単に聖パウロ修道会のメンバーだけでなく、同じパウロ家族の女子修道会の霊的な指導も、ジャッカルド神父にゆだねられました。ジャッカルド神父が特に力を注いだのは、これらの女子修道会の一つ、師イエズス修道女会の教会認可のための働きでした。アルベリオーネ神父は、パウロ家族の中に、一つの大きな使命をもちながらも異なるそれぞれのカリスマをもった、さまざまな修道会を創立していきます。しかし、教会当局にとって、女子修道会に関しては複数の別の修道会である必要性が感じられなかったようです。師イエズス修道女会は存在する必要はないとの布告が出され、聖パウロ女子修道会と一つの修道会であることが宣言されました。ジャッカルド神父は、アルベリオーネ神父に協力しながら、師イエズス修道女会の教会認可のために、忍耐強く、しかも精力的に働きかけを続けます。その一方で、来るべき認可のために、師イエズス修道女会のシスターたちに固有の養成を行っていったのです。教皇庁の巡察師の記録からも、ジャッカルド神父の全面的な自己奉献と模範的な信仰生活が大きな影響を与えたことをうかがい知ることができます。
1946年、ジャッカルド神父は、副総長としての務めを果たすために、再びローマに呼ばれます。しかし、そのわずか1年数カ月後の1948年1月、師イエズス修道女会に教皇庁の認可が与えられた後、ジャッカルド神父はまるでそれを見届けるかのようにして息を引き取ったのでした。
今では、メディアを通しての福音宣教が神のわざ、使徒職であり、教会にとってもきわめて重要であることに異議をとなえる人はいないでしょう。しかし、それが明確ではなかった時代に、神のみ心を識別し、人々の非難の中にあっても、このみ心に全身全霊をささげた人がいるということを思い起こすことは大切だと思います。今も、複雑な社会の中にあって、わたしたちは神のみ心を識別し、信仰をもってそれに自分をゆだねるよう、常に招かれているのですから。
さて、パウロ家族の中では、福者ティモテオ・ジャッカルド司祭の記念日に、ヨハネ福音書15章9−17節が朗読されます。牧者共通の個所として定められている福音の個所なので、多くの聖人たちの祝日に朗読される個所です。
この個所では、イエスの弟子たちに対する愛が強調されています。イエスが弟子たちを愛してきたので、弟子たちの側もこの愛にとどまる必要があります。弟子たちは、この愛の力に支えられて、互いに愛し合うように招かれます。すべての基礎は、実際に示されたイエスの愛の力です。この愛にとどまること、それこそ愛することができるための唯一の方法なのです。イエスの言葉は、次のように言い換えることができるかもしれません。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。だから、わたしの愛にとどまりなさい。そうすれば、わたしが父の愛に生かされて、父の掟を守り、父の愛にとどまっているように、あなたがたもわたしの愛に生かされて、この愛で互いに愛し合うことができるはずである」(15・9−10参照)。
イエスの愛は、さまざまな表現で描かれています。「友のために自分の命を捨てること」(13節)、「僕とは呼ばない……友と呼ぶ」(14−15節)、「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせた」(15節)、「わたしがあなたがたを選んだ……任命した」(16 節)などです。「友のために自分の命を捨てること」は、実行するのは難しいですが、これが大きな愛の表現であることを疑う人はいないでしょう。しかし、愛とは自己犠牲や自分を与えることに限定されるものではありません。それは、僕ではなく、友と認めることでもあります。相手を見下すのではなく、自分と対等の者として認めること、いや、相手がそうなるようにすべてを尽くすのです。そのために、イエスは「父から聞いたことをすべて……知らせ」ました。御父のみ心、救いについて、それにいたる生き方についてなど、御父から受けたかけがえのないことを、イエスは弟子たちに知らせました。しかも、それをすべて知らせました。わたしたちがイエスから受けて知っていることを、ほかの人々に知らせることこそ、彼らを友とすることであり、彼らへの愛の表現なのです。
さらに、イエスは、任命とか選びについて語っています。イエスが弟子たちを愛するとは、一方的に弟子たちに与えるだけではなく、彼らに大切な役割を与え、彼らが主体的にそれを行うことでもあるのです。これは、より困難なことかもしれません。相手への深い信頼が必要だからです。わたしたちは、イエスの弟子たちが、信仰において優秀ではなく、イエスの思いを十分には理解できていなかったことを知っています。しかし、それでもイエスは彼らを信頼し、彼らに大切な務めをおゆだねになるのです。
もちろん、任命とは単なる押し付けではありません。イエスが弟子たちに務めを与えるのは、「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように……、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるように」するためです。すべては弟子たちの救いのためなのです。
このような形で示されたイエスの愛が、わたしたちに与えられています。だから、わたしたちはこのイエスの愛にとどまり、それに生かされているかぎり、同じ愛でもって、互いに愛し合うことができるのです。
福者ジャッカルドは、このイエスの大きな愛に気づき、その愛に生かされていたのだと思います。そして、この愛で人々を愛そうとしたのだと思います。創立者アルベリオーネ神父とともに、新しい形態の福音宣教のわざを使徒職、司祭的わざ、神のわざとして行っていくのは、決してたやすいことではありませんでした。人々(教会内部も含めて)の無理解、非難、経済的窮状など多くの問題にぶつかり、悩まされたはずです。しかし、福者ジャッカルドは、それがイエスのみ心、召命であること、イエスからの選び、任命であること、だからイエスの愛の表れであり、自分にも、ほかのすべての人々にも大きな実りをもたらすことを確信していたのだと思います。そして、新しい形態の宣教のわざが、一人でも多くの人に、イエスという大きな宝を知らせる、最大の愛のわざであること、「あらゆる使徒職の中で最も偉大な使徒職であること」(福者ジャッカルドの言葉)を確信していたのだと思います。だからこそ、その務めを揺らぐことなく続けていくことができたのでしょう。わたしたちは、自分に基礎を置くとき、神のわざを行うことはできません。いずれは挫折してしまいます。神の愛に基礎を置くときこそ、それをまっとうすることができるのです。キリスト者としての生き方を、自分の持つ能力でだけ推し量るのではなく、イエスの愛で推し量ることができるよう、福者ジャッカルド司祭の模範に倣いたいと思います。