アルベリオーネ神父の生まれた所はフォッナーノのサン・ロレンツォで、幼年時代はケラスコ、青少年時代はブラとアルバですごした。アルバは聖パウロ会の創立の地であり、五〇歳になるまで働いた所である。
以上の地域はいずれもピエモンテ州に属している。ピエモンテ州はイタリアの最北西部、フランスとの国境地帯にある。ここから万年雪をかぶった四千メートル級のアルプス山脈が見える。冬はそこから吹きおろす風雪、大量の霜や雹で大地は凍りつく。また山や丘から流れ出す雪どけ水が湖や池をつくれ、川となり、あるいはごうごうと、あるいはぼこぼこと牧草地帯や農場をうるおす。
ピエモンテは丘が多く、斜面を利用したブドウだの、ナシやリンゴだの果樹園があちこちに散在し、その中でかっこう鳥が息をはずませる。土地は肥え、色とりどりの草木や花が、一面におい茂る。じめじめした牛小屋から、のどかな牛の鳴き声が聞こえたり、牧場や山脈には牛や羊の群れが首につけられた鈴をチリンチリンと鳴らしながら、草をはんだりしている。緑の木々の間に茶褐色の農家の屋根があちことに見える。灰色の石造りで一階が食堂、居間、二階が寝室、物置き場、同じ棟続きに家畜小屋と納屋がある。
町には、所によっては中世時代の城門が残り、中心部に高い尖塔をもつ教会、石畳の狭い、曲がりくねった道、噴水のある広場、屋根の高さと同じ石造りの商店街がのきをつらねる。天気のよい日には、雲の影が、木々をゆり動かし、白やくれないの花をゆさぶって、花粉をあたり一面にまき散らす。めん鳥は、羽根をばたばたさせながら庭に散らばったえさをあさる。小鳥が、木々のこずえからこずえに飛び回り、美しい声を響かせる。花びらの間には蜜蜂が蜜を求めて留まり、ちょうちょうが草花の上にひらひらと舞い回る。
アルベリオーネ神父の育った所は、むしろ樹木と牧草と畑が拡がり、牛や羊の多い田園であった。春はあたり一面が緑一色に色どられ、秋は黄色に一辺する。アルベリオーネは小作人の父を助けて、子供の時から牛の番をしたり、草を刈ったり、にわとりにえさをやったり、畑の開こんや種まき、収穫の手伝いなどをしたりしていた。一般にピエモンテ人は忍耐強く働き者であるといわれるが、アルベリオーネも、小さい時からそうならざるを得ない環境におかれていたと言える。教皇パウロ六世はローマに巡礼に来たピエモンテ出身の人たちに向かってこうおっしやった。「あなた方ピエモンテの人たちはまじめで、非常に積極的な実践家で、大変筋道を立てて考えます……」と。
アルベリオーネ神父は、ピエモンテ人として、考え深い、意志の強い土地柄の影響を受け、信仰深い、働き者の祖先の血をも、あますところなく受け継いでいた。
・池田敏雄『マスコミの先駆者アルベリオーネ神父』1978年
現代的に一部不適切と思われる表現がありますが、当時のオリジナリティーを尊重し発行時のまま掲載しております。