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みことばの響き

平和があるように 復活節第2主日(ヨハネ20・19~31)

 イエスは「あなたがたに平和があるように」(20・19)と語ります。しかも一度ならず三度も語っていきます。一度目はイエスが真ん中に立って語り、二度目は手とわき腹とを見せ、弟子たちが喜んだところで語り、三度目は8日の後、トマスも一緒にいる中で語ります。何となくしつこい感じにも響きますが、繰り返すことで私たちに確信を持たせてくれます。

 こうした三度にわたる内容は他にもあります。一つはヨハネ18章に出てくるペトロの否認です。門番の女中がペトロに「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」(ヨハ18・17)と尋ね、ペトロは「違う」と否定。二回目、人々が「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と尋ねられ、再び「違う」(ヨハ18・25)と。三回目、耳を切り落とされた人の身内の者が「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたのではないか」(ヨハ18・26)と言われると、ペトロは打ち消していきます。このように三度、ペトロはイエスのことを否認していきます。

 同じペトロがヨハネ21章ではずいぶん違ってきます。ペトロはイエスから「わたしを愛しているか」と三回尋ねられます。特に三度目「わたしを愛しているか」と尋ねられ、悲しくなっていきます。18章にあったように、三度イエスのことを否認したことが蘇ったのでしょうか。やがてペトロは勇気を出して「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」(ヨハ21・17)と答えていきます。

 こうした歩みを振り返ってみると、「あなたがたに平和があるように」というのは、これらの中心にあって、弟子たちに励ましを与えてくれます。イエスが弟子たちに語りかけた「平和があるように」は、私たちへの語りかけとしても響いてきます。

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